勢古浩爾さん

 勢古浩爾氏の『思想なんかいらない生活』(ちくま新書)は、痛快にしてなお考えさせられる書物である。20代後半から30代にかけて、「わりと硬い本」を中心に、月数万円を本代に費やした経歴をもつ1947年生まれの著者が、その後文藝・哲学・思想関連の本のあらかたを売り払い、「哲学・思想」の憑き物が落ち、それらの言説が、〈ふつう〉に生きる者あるいは生きようとする者にとって、意味もなければ、何ら有効でもないことを、当節売れっ子の言論人の書いたものをめぐって論じている。マインドコントロールから解放された、元カルト教団の信者による、過去の自己への憤怒と惜別の辞ともいえようか。
『言葉のダンビラは振り回さない。鬼面人を驚かすような哲学用語も必要ない。寸言の覚悟、寸言の格率。わたしにはそれだけで十分だった。大思想は必要ではない。大哲学者の壮大な論理の伽藍もいらない。この自分の身にしみる言葉と存在、それだけが重要であった。いわば「ひとりの思想」である。無意味な人生を意味ある人生として生き、無意味な家族という集団を意味ある集団として生き、無意味な愛を意味ある愛として生き、無意味な仕事を意味ある仕事として生き、無意味な自分を意味ある自分として生きるための「思想」である。「思想」という言葉を使いたくないがゆえに、わたしはそれを鉄鉱石の欠片というのである。言葉の鉄鉱石だ。』
 流行作家の大した作品でもない作品について「懸命に読み込み、もっともらしい観念と大げさな言葉で、うそ臭い文章を書き上げる」思想家=文藝評論家に「自分に嫌気はささないのか」と迫るところは、みずからの〈お勉強ぶり〉を誇示することのみに汲々とする、昨今の文藝評論を思い浮かべて喝采した。
 思想を語る社会学者が少なくない。科学としての社会学の構築に、知的営為を限定したほうがよいのではないか。社会学橋爪大三郎氏の仕事についての、著者の批評と提言は共感できるものである。
『ようするに、文章がまるで能面なのである。表情がない。熱がない。筋肉がない。血も通っていない。「思想」に関するこんな形式的な文章を書かずに、「制服少女」でも「引きこもり」でも「平等社会」でもなんでもいいから、ひとつの社会事象についての地道な実証的研究でもやったほうがもっと有益なのではないか、とおもう。』
 著者は、現代の〈知のシステム〉を支える「インテリさん」らの仕事に訣別の意志を伝え、「お願い」を述べる。
『相手が素人だからといって、あまり舐めた本は書かないように。「思想家」であれ「哲学者」であれ「評論家」であれ、一皮剥けば、ただの男、ただの女であることをもっと自覚してもらいたい。もっといえばただの俗物であることも。そうでなければ、必ず虚偽が入る。欺瞞が入る。演技が入り権威が入る。まあ無理だろうとは思うが。』
 まったくその通りである。いっけん根源的で斬新にみえる思想の言説も、アカデミズム内部(あるいは大学内部)の序列およびメディア内部の序列という俗的関係を土台にした、権威主義に支持されて流通しているのが、現実であろう。「あとがき」で、揶揄批評する「思想家」の対象に、吉本隆明氏が入っていないことについて、「わたしが唯一恩恵を蒙った」別格の、「別格すぎる」思想家だからと書いている。この扱いに関して共感を覚える。「読売新聞」紙上のインタビュー記事で、かつて月島で食べた「肉フライ」について、吉本隆明氏が語ったことがある。そこに、氏の「別格の思想家」としての片鱗が窺えよう。
『「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「マス・イメージ論」——出版した本は百数十冊にも上る。「戦後日本最大の思想家」とたたえる識者も多い。ところが本人は「食うために仕事を続けてきただけのことで」とケロリとしたもの。
 終戦直後には、農家に買い出しに行き、持参した服を芋や米と交換した。大学で学んだ化学の知識を生かして、せっけんや人工甘味料をこっそり作り、闇市で売ったこともあった。文字通り「食うための仕事」。
 その仕事が文筆業に代わっただけと言えば合点もいく。だから、生活が豊かになっても、食べるものは決まって庶民的な食事だった。中華ならラーメンとギョーザ、和食ならカツ丼、洋食ならカレーライスが一番。』(「読売新聞」2005年11/15)

思想なんかいらない生活 (ちくま新書)

思想なんかいらない生活 (ちくま新書)

永遠の吉本隆明 (新書y)

永遠の吉本隆明 (新書y)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町で、インパチェンスの花にとまる(impatient for the summer)アゲハ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆