大江健三郎は小説だけ読む

 一昨年(2009年)は、the 200th anniversary of the birth of Edgar Allan Poe(1809年1/19〜1849年10/7)にあたっていた。ポーが亡くなるその2年半前に病死した、14歳年下の妻ヴァージニアを偲んで詠われたのが「アナベル・リイ(Annabel Lee)」だ。齋藤昇立正大学教授は、「この美しい調べをもつ一篇だけを書き残したとしても、詩人ポーの名は文学史上に永く刻印を穿つであろう」(「東京新聞」09年8/4号)と評している。幸いネット経由で、この詩を読むことができる。第1聯と、最終第6聯のみ記しておこう。
◯It was many and many a year ago,/ In a kingdom by the sea,/That a maiden there lived whom you may know/ By the name of Ananabel Lee/And this maiden she lived with no other thought /Than to love and be loved by me.(第1聯)
◯ For the moon never beams without bringing me dreams/ Of the beautiful Annabel Lee;/And the stars never rise but I see the bright eyes/ Of the beautiful Annabel Lee;/And so, all the night-tide, I lie down by the side/Of my darling, my darling, my life and my bride, /In her sepulchre there by the seaノ/In her tomb by the side of the sea.(第6聯)
 ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」のように難解ではなく、バルバラの名曲「ナントの街に雨が降る」を聴いたときと同じ哀切さが、さらに深く残る。

 大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(新潮社)を読む。かつて少年のようであった大学時代の友人で映画プロデューサーの木守と、少女のころ「アナベル・リイ」映画のなかで犯され、そうと知らずに当のアメリカ人を夫にした女優のサクラさんと、ノーベル賞作家の「大江健三郎」の三人が、ルターと同時代のミヒャエル・コールハースの反乱の日本版として、四国の伝説の「メイスケ一揆」を題材にした映画を作ろうと奔走し、挫折する物語である。その30年後の三人の映画製作再開の時点からこの物語が語られている。触れられる多彩なジャンルの作品の連鎖が、この現実世界とは離れたひとつのリアリティを形成しているところは、相変わらず大江健三郎の独擅場(どくせんじょう)である。しかし読後の印象ということでは、あまり感動的ではなかった。
 部分部分にも小説の魅力というものがあるとすれば、さすがにそれがいくつかある。とくに京都のホテルのスイートルームに三人が寝泊まりした深夜、ひそかに(実は見られるのを計算して)木守がサクラさんと情交を交わした件は、巧いものである。
 たちまち私は反応して、起き上ろうとした。しかし私の愚かしい返事を押さえる素早さで、少年の(まさにそのように聞こえた)せわしなく呼吸する音が高まり、それが一瞬詰まるのと合わせて、サクラさんの余裕にみちた、アーアーいう声が起こっていた……
 隣室からの淡い光に目を開くと、向こうを横切って行った人影が洗面所の明りを点し、煌々と照り返す鏡の前で立ちどまり、一拍置いて、浴室への足をしっかり踏み出して行った……
 私の眩しがっている目に、赤く艶をおびたイギリスパンを二斤、間隔を置かずぎゅっと押しつけたような尻が残像をなしていた。
 読者は怠惰では読み通せない。四国の「メイスケ」伝承の源流は、東北の「三閉伊(さんへい)一揆」であって、その指導者三浦命助のことば、「人民雲霞の如く」は「露顕状」と明記されてあるが、「人間は三千年に一度さくウドン花(げ)なり!」は、岩波版「日本思想大系」58『民衆運動の思想』にあたらないとわからない。これは「獄中記」のことばで、「ウドン花」とは、三千年に一度咲くというインドの想像上の植物だそうだ。つまり人間そのものが最も貴重だという意味のことばだ。
 サクラさんは、少女時代の真実を知って後もしたたかに蘇る。30年後に、「大江健三郎」は、京都でのサクラさんを、メキシコでの空間感覚とダブらせて回想する。
 そしてまた時がたって、これを書いているいま、あの夜、車を駐めた場所から円山公園に降って行く道筋の雑踏こそ、小さいが広場(ソカロ)に似ていた、と思い出す…… そのなだらかな降り坂を私はサクラさんと、照明されたシダレザクラの老木の、人間の裸のような生なましさの幹に、しだれにしだれた花ざかり自体よりも印象を受けて一廻りし、それだけで帰路についたのだ。
 みずからの終幕を意識した作家の、日本文化に託した希望をみた思いがした。

臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ

臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のムクゲ木槿)の花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆