コレクターについて(2)

 現代美術のコレクターでは、わが隣町習志野市谷津に、私設「谷津現代美術館」を開設している、詩人・現代美術評論家の鶴岡善久氏が居住している。半生にわたって収蔵された内外の現代美術作品を、自宅2階のギャラリーで展示公開している。こちらは、いつでも訪問できる距離にあることもあってか、未見であるが、じつは、この新装以前の「旧館」=「アンリ・ミショー美術館」は2度ほどお邪魔している。かつて「産經新聞」に、この私設美術館を紹介した記事を書いたことがある。再録しておきたい。

◆ユリカモメやコアジサシなど水鳥たちが飛び交う谷津干潟に近い住宅街 に、このギャラリーがある。地元の人にもほとんど知られていないため か、訪ねてもうっかりすると通り過ぎてしまうだろう。瀟洒な個人の邸宅二階が、今回訪ねた「アンリ・ミショ−美術館」である。館主は、詩人で美術評論家としても著名な鶴岡善久さん。玄関の呼び鈴を押すと、“室内旅行”の案内人である鶴岡さんがやや心配そうな顔で招き入れてくれる。
 階段を上がったところが美術館であり、ミショーと館主との心の交流が生み出した「生きられる空間」である。訪れる者はその色彩的静謐さにまず感動するであろう。ベ−ジュの壁に数十点のミショーの絵と版画が程よい間隔で並べられ、街の無秩序な色彩の乱舞に鈍らされていた精神を解放してくれる。
 スペースが三つに仕切られて、ゆっくり眺められる空間の工夫が感じられ、気を遣ってか鶴岡さんはしばらく階下へ下りてしまうのである。床にはアフリカのカヌーのような寝台や、いすの用を務める洗濯台などの民芸品がそれぞれオブジェとしての機能も果たすという、このミニ美術館にとっては不可欠の存在として置かれている。「ずうっとただぼんやりここに坐っているだけでいいんです」と言った訪問者がいたと鶴岡さんは語ってくれた。
 しかし、ミショーの絵は分かりやすくもなく、親しみやすくもないのである。「たとえ架空のものであっても存在するものをではなく、たとえ突飛なものであっても、それらのフォルムをではなく、それらの力の線を、それらの躍動を、表現するために」(小海永二訳)描いた彼の作品は、その詩とともに、現実の再現を目指さず、心の中の探索の結果にほかならない。
 ミロのようであり、カンディンスキーのようであり、サム・フランシスのようであり、無論そのいずれでもない魅力を感じた。
 最初に見せた館主の心配とは、「ミシンとこうもり傘の出会い」のような、客とミショーとの不幸な対面についてであったろう。(「産経新聞」1993年9/29掲載)
※「谷津現代美術館」:交通=JR津田沼駅下車徒歩12分。要前日予約。入館料=500円。 Tel=047・475・9013 千葉県習志野市谷津1ー19ー26 
 http://www.galerie-miyawaki.com/HenriMichaux.htm (京都「ギャルリー宮脇」でミショー販売)

⦅写真(解像度20%)は、千葉県九十九里野菜畑に咲くキヌサヤの花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆