寺田寅彦再読

 昔の開戦前夜の新聞も斯くやと思わせる、「反原発」一辺倒の「東京新聞」4/22(金)夕刊紙上に、竹内整一鎌倉女子大学教授が、「寺田寅彦の災害論に学ぶ」との副題で「“天然の無常”踏まえて」と題して、今回の大震災について所見を述べている。「おのずから」の自然のいとなみには、人間に災禍をもたらす「無常」のはたらきもあり、それを人間の人工=文明で無理にねじ伏せようとしてもかなわぬこと。むしろその受容の上に、「遠い遠い祖先からの遺伝的記憶」を奮い起こして、「みずから」の生活の守りを固めようとの寅彦の賢察を、この大震災を契機に再評価したといえよう。
 かつて愛読した『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫)を探し出し、第5巻所収「天災と国防」を読み直してみた。あらためてその予言のたしかさに感心させられた。
『それで、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防禦策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟(ひっきょう)そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の転覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。』
『こういうこの世の地獄の出現は、歴史の教うるところから判断して決して単なる杞憂(きゆう)ではない。しかも安政年間には電信も鉄道も電力網も水道もなかったから幸いであったが、次に起こる「安政地震」には事情が全然ちがうということを忘れてはならない。』
 むろん寅彦の警告が、為政者=政府にむけられたものであることは、「敵国に対する国防策」はあっても、「天災に対する国防策」がないと、論難しているところであきらかであろう。

 さて文明と生活の歴史的転換を説く、現代の「賢者」擬(もど)きらの議論は、資本主義システムの下でのコストの計算や、雇用および将来の年金を左右する、景気や財政の問題をスルーしているので、説得力に欠ける。

寺田寅彦随筆集 (第5巻) (岩波文庫)

寺田寅彦随筆集 (第5巻) (岩波文庫)

(わが家の庭の藤の花)
⦅写真(解像度20%)は、千葉県九十九里野菜畑に咲くブロッコリー(Broccoli)の花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆