立川志らく「シネマ落語」を聴く

 

 


 立川志らく師匠は、シネマ落語とは、「映画を落語で語る」もので、映画のパロディには違いないとしても、「パロディの域にはとどまらず、その映画の魅力を落語で語り、落語にあまり興味の無い人達への門を広げ、また映画ファンの心をときめかせ、はたまた従来の落語ファンにカルチャーショックを与えられれば、と考えている」(『全身落語家読本』新潮選書)と述べている.
 昨晩(7/12)は、東京新宿紀伊国屋ホールにて「シネマ落語・エデンの東」をメインとした、独演会を鑑賞した.前座に立川志ら乃ちりとてちん」で、スピーディーな展開、上方落語を扱ったNHK朝ドラを思い出して楽しんだ.
 志らく師匠は、「欠伸指南」と「三枚起請」の二つを演じ、中入り後「エデンの東」を披露した.「三枚起請」の後日談としての要素と、「欠伸指南」の由来としての要素を、内容に盛り込み、映画のみならず落語も含めた、ポリフォニー(polyphony)の面白おかしい物語を造型してみせた.その才気には賛嘆するほかない.
 未読であるが、J.スタインベックの原作は、旧約『創世記』のカインとアベルの物語を基底にしているそうである.エリア・カザン監督の映画を観たのがだいぶ昔のことなので、寸断されたシーンの断片しか記憶に残っていない。神に羊の初子の献げものを拒否された兄カインが、「土の実り」の献げものに神から「目を留められた」弟アベルを殺害してしまう『創世記』に対して、農場主の父アダム・トラスクに愛され気持ちのやさしい兄アーロンを、不良っぽく父に愛されていないと思う弟のキャルが、死んだとされているが生きていて、町の酒場(じつは売春宿)を経営する女ケートこそ母親であることを暴露して、廃人に追い込んでしまう物語となっている.キャルは父の事業の失敗を、豆相場の投機で儲け救おうとするが、父は、キャルのお金を受け取らない.いっぽうで、アーロンの婚約の報告を喜んで祝福する.ここはなるほど『創世記』風だ.
「シネマ落語」では、母は吉原女郎屋「朝日楼」の女将、しかも若いころ「三枚起請」で男どもを騙した例の女郎だ.父はその三人の男の一人.弟は父の負債を、豆の相場ではなく、太鼓持ちの稼業で稼いで助けようとする.品行方正の兄は、母が女郎屋の女将として生きていたことを弟から知らされて、腑抜けとなり、欠伸の指南に生きる道を選ぶ.ショックで寝込んでしまった父を介護する弟に、父は苦しい声で「……」。弟が耳を父の口元に近づけると、「ご祝儀」。父から前からほしかった小遣い=ご祝儀=愛情をついに貰えたのだ.みごとなオチ。
 師匠は、前掲著で、「欠伸指南」について、「これぞ落語なのだ! 欠伸を教えるなんて、映画や芝居で出来ますか? 小説になりますか? 落語でのみ成立する噺なのです.落語って何んて奥が深いのだろう」と書いている.このナンセンスをこれだけの力技でつくり演じる情熱が、大したものなのである.
 なお仲間6人で鑑賞後、WC決勝TV観戦で寝不足にもかかわらず、夜遅くまで近くの居酒屋で演目をめぐって〈討議〉したことが、この記事作成に役立っていることを付記しておく.


⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の桔梗の花.小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆