立川志らくの高座と舞台(その4)

 

 

 昨日3/13(木)は、東京・銀座ブロッサム中央会館で、毎年春恒例の「立川志らく独演会」を聴いた。S氏主宰の落語研究会の月例会への参加。参加者数は13名で多く、さすが志らく独演会ではある。番組は以下の通り。立川らく兵の前座は、「三人旅」。

 よく駆出しの前座で爆笑が起こっていますが、さすが今日のお客さんは耳が肥えている、レベルが高い。この世界で10年になるらく兵の噺、さきほどまるでお通夜のようでしたな、と登場の志らく。拍手が起こると、「あれ、お客さん自分に拍手しているよ」と談志風の毒を用意している。志らく師匠の『全身落語家読本』(新潮選書)によれば、「三人旅」は、「この落語はいかに江戸時代の空間を作り上げるかがポイントである。ギャグよりも雰囲気が大事な噺だ」とし、「この落語で爆笑を取ろうというのは間違いである」と書いている。乗せられる事なかれ。

「寝床」は、シュールな怖さとナンセンスぶりが爆発して痛快であった。前掲書によれば、文楽志ん生、金馬、円生のいいところをパクって完成させたのが、志らくの「寝床」だそうである。落語通ならわかることなのだろう。

 http://ginjo.fc2web.com/181nedoko/nedoko.htm(『落語「寝床」の舞台を歩く』)

真景累ヶ淵」は、お久殺しとお累の登場の件まで。怪談噺でむろん笑いのところはないが、殺された宗悦の長女豊志賀と新吉との情事の場面では、「こんなエロいところ最後まで演ってられませんよ」と途中で投げ出し、笑いが起こる。巧いものである。

 http://ginjo.fc2web.com/201sinkei_kasanegafuti/sinkei_kasanegafuti.htm

          (『落語「真景累ヶ淵・宗悦の長屋」の舞台を歩く』) 

 今度は、この「真景累ヶ淵」を演劇として舞台化するそうである。どう料理するのだろうか、趣味の域を超えた舞台になるのかどうか、興味はある。

 志らく師匠は、2015年~2030年の間に「203席をテーマごとに分けて全部演じきろうという壮大なプロジェクト」をスタートさせている。いくつかのチケットはぜひ入手したいものである。

 終演後、中華料理の華宴にて、検討会・親睦会、参加は全員。大塚家具の娘社長とメガバンクの国際金融部でかつて一緒に働いていたという、元金融マンK氏の華麗なる学歴・履歴の兄弟・家族および友人の〈自慢話〉に圧倒されてしまった。ひょっとするとこれが「寝床」の旦那の〈義太夫〉なのではなかったか。

 ひざ痛のため、帰りの総武線快速は新橋駅からグリーン車を利用した。「週刊新潮」を読みながら、深夜にしては快適な帰還となったのであった。

(『「立川志らく独演会」を聴く』2015年3/14記 )

 



 一昨日2/26(金)の夜は、東京・銀座ブロッサム中央会館にて、立川志らく独演会を聴いた。S氏主宰の落語研究会月例会へのひさしぶりの参加。参加者は10名、寒さまだ居残り、階段の多いメトロ東銀座駅を利用するのも、膝痛の身には楽ではない。しかし楽しく、リズムと流れのよい高座であった。

 前座の立川らく次は、「金の大黒」。志らく師匠の『全身落語家読本』(新潮選書)によれば、「どん底」の貧乏こそが、このような長屋の連中が活躍する噺のポイントとのこと。羽織を使い回しする住民の行動が可笑しく面白い。テンポよく、よい前座。酒とご馳走にありつけ、もはや不要となった羽織は、「いいよ、どぶに捨てちゃえ」。志らく師匠が、「この噺の最高に面白いくすぐり」としている。なるほど。

居残り佐平次」と仲入り後の「品川心中」の番組。マクラで語った、川島雄三監督の映画『幕末太陽傅』が主としてその物語構成の題材として採り上げた、品川の遊郭が舞台の落語2作品。この映画なぜか観る機会を逸していて、競馬で馬券を的中させて(今年まだ的中なし!)、デジタル修復版DVDを入手したいものである。

 http://www.nikkatsu.com/bakumatsu/(「映画『幕末太陽傅』デジタル修復版・公式サイト」)

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 http://ginjo.fc2web.com/005inokori/sinagawa.htm

 (『落語「居残り佐平次」&「品川心中」の舞台を歩く』) 

 映画の佐平次が結核を病んでいるとの設定について、立川談志は、「病気なんて関係ない。佐平次は居残りをやりたい奴なんだ」と言って、それを否定していた、と志らく師匠が同書で述べている。「居残りをやりたい奴」という批評が面白い。その通りなのだろう。

 http://www.news-postseven.com/archives/20111129_72601.html(「立川談志のベスト名席:居残り佐平次」)

 ここで広瀬和生氏が評している「家元が作品を演じるということではなく、立川談志という身体を借りて、高座の上で極めていい加減な野郎が暴れまくる痛快さ。これが談志落語の神髄の一つ」との、談志が一昨晩の志らくに憑依したのだろう。まさに、「いい加減な野郎が暴れまく」っていた印象であった。談志のサゲの「裏を返す」という遊郭用語は、もはや知識として死滅しているし、志らくのサゲが談志のそれと違っているのは当然である。遊女たちにモテモテの、粋な佐平次というイメージで終らせたのであった。

「品川心中」は、心中の場面など、ニキータ・ミハルコフ監督作品『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』(原作『プラトーノフ』)を思い出させた。チェーホフ劇と落語には親近性があるのだ。 

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20100617/1276763302(「チェーホフ劇はどこで笑うのか」) 

 終演後、歌舞伎座近くの越前若狭・鯖街道という店で、検討会・呑み会。若狭の〆鯖は、たしかに美味しかった。個室の雰囲気のいいこの店に居残りしたくても、11時過ぎてしまい解散。新橋駅から総武線快速グリーン車でなんとか帰宅。

 http://news.nifty.com/cs/entame/gamedetail/crankin-4171904/1.htm

(「立川志らくガンダム落語披露」)

(『「立川志らく独演会」を聴く』2016年2/28記  )