立川志らくの高座と舞台(その1)

 

 立川志らくの独演会および演出の舞台の鑑賞記は、はてなダイアリーに収まっている。インポートはそれとして、「新simmel20の日記」にまとめて再録しておこう。

f:id:simmel20:20190123170636j:plain

f:id:simmel20:20190123172404j:plain



 ひさしぶりに東京池袋に出て、近くに寺と公園があるシアターグリーンにて、「立川志らく25周年記念」の興行を鑑賞した.第1部・古典落語「疝気の虫」、第2部・志らく座長の「下町ダニーローズ」公演「演劇落語『疝気の虫』(後日談)」の二部構成.志らく師匠の「疝気の虫」は、虫たちの大好物の蕎麦を食べる、奥方の体に入ってしまい、〈有毒物質〉の唐辛子の侵入で逃げ場の別荘=玉袋がなく、疝気の虫たちが死滅してしまう噺.「パチ、パチ」との消滅の音で終わるところが痛快であった.第2部の芝居は、急遽医師の体に逃げ込んだ疝気の虫一家が、その医師とともにアフリカの大地にわたり、そこで抱腹絶倒の〈悲劇〉が起こるという、ナンセンス劇でありながらじつは人情劇であった.ところどころで、柳亭市馬師匠の昭和歌謡が挿入され、ミッキー・カーチス御大のハーモニカ演奏もあったりで、楽しい.医師役の「モラリスト」の畑雅文は、女性かと思ったら男なのだ.疝気の虫(および観客)にとっては、虚実皮膜の間で「体に入るべきか入らざるべきか」混乱させられてしまう、そこがまた面白い.計算されたキャスティングであろう.

「あと10年で、お前は狂うぞ」とか、談志師匠に〈宣告〉されたそうな志らく師匠の、「野暮なこともやり通せば粋になる」との玉砕覚悟のこの出し物、梅雨の鬱陶しさを払ってくれたといえる。ただやたら蕎麦を食う所作を演じていたのは、いくら蕎麦好きの疝気の虫たちが主人公とはいえ、師匠のサービス精神なのか。志ん生の「時そば」を考察して、師匠は、こう述べているのである。

「現代人の心を掴むにはその噺の本質を前面に出すのが最善であろう.だって蕎麦の食い方なんかに興味を示す人なんていやしない。パントマイムが一般的でなかった時代ならば、蕎麦の食い方にも人々は歓喜の声をあげたかも知れない.現代はそんな時代ではない。志ん生の言う通り、銭をかすめる事をテーマに落語の面白さ、凄さをアピールすべきである。」(『全落語家読本』新潮選書) 

 7/12(月)には、東京新宿紀伊国屋ホールで、志らく師匠の「シネマ落語・エデンの東」を聴く.正真正銘落語ファンの友人が、3時間も並んで獲得した1枚余りのチケットを入手したものだ.知る人ぞ知る映画人でもある師匠の高座、愉しみである.(「立川志らく25周年記念」2010年7/1 記)

f:id:simmel20:20190123171222j:plain

 立川志らく師匠は、シネマ落語とは、「映画を落語で語る」もので、映画のパロディには違いないとしても、「パロディの域にはとどまらず、その映画の魅力を落語で語り、落語にあまり興味の無い人達への門を広げ、また映画ファンの心をときめかせ、はたまた従来の落語ファンにカルチャーショックを与えられれば、と考えている」(『全身落語家読本』新潮選書)と述べている.

 昨晩(7/12)は、東京新宿紀伊国屋ホールにて「シネマ落語・エデンの東」をメインとした、独演会を鑑賞した.前座に立川志ら乃ちりとてちん」で、スピーディーな展開、上方落語を扱ったNHK朝ドラを思い出して楽しんだ.

 志らく師匠は、「欠伸指南」と「三枚起請」の二つを演じ、中入り後「エデンの東」を披露した.「三枚起請」の後日談としての要素と、「欠伸指南」の由来としての要素を、内容に盛り込み、映画のみならず落語も含めた、ポリフォニー(polyphony)の面白おかしい物語を造型してみせた.その才気には賛嘆するほかない.

 未読であるが、J.スタインベックの原作は、旧約『創世記』のカインとアベルの物語を基底にしているそうである.エリア・カザン監督の映画を観たのがだいぶ昔のことなので、寸断されたシーンの断片しか記憶に残っていない。神に羊の初子の献げものを拒否された兄カインが、「土の実り」の献げものに神から「目を留められた」弟アベルを殺害してしまう『創世記』に対して、農場主の父アダム・トラスクに愛され気持ちのやさしい兄アーロンを、不良っぽく父に愛されていないと思う弟のキャルが、死んだとされているが生きていて、町の酒場(じつは売春宿)を経営する女ケートこそ母親であることを暴露して、廃人に追い込んでしまう物語となっている.キャルは父の事業の失敗を、豆相場の投機で儲け救おうとするが、父は、キャルのお金を受け取らない.いっぽうで、アーロンの婚約の報告を喜んで祝福する.ここはなるほど『創世記』風だ.

「シネマ落語」では、母は吉原女郎屋「朝日楼」の女将、しかも若いころ「三枚起請」で男どもを騙した例の女郎だ.父はその三人の男の一人.弟は父の負債を、豆の相場ではなく、太鼓持ちの稼業で稼いで助けようとする.品行方正の兄は、母が女郎屋の女将として生きていたことを弟から知らされて、腑抜けとなり、欠伸の指南に生きる道を選ぶ.ショックで寝込んでしまった父を介護する弟に、父は苦しい声で「……」。弟が耳を父の口元に近づけると、「ご祝儀」。父から前からほしかった小遣い=ご祝儀=愛情をついに貰えたのだ.みごとなオチ。

 師匠は、前掲著で、「欠伸指南」について、「これぞ落語なのだ! 欠伸を教えるなんて、映画や芝居で出来ますか? 小説になりますか? 落語でのみ成立する噺なのです.落語って何んて奥が深いのだろう」と書いている.このナンセンスをこれだけの力技でつくり演じる情熱が、大したものなのである.

 なお仲間6人で鑑賞後、WC決勝TV観戦で寝不足にもかかわらず、夜遅くまで近くの居酒屋で演目をめぐって〈討議〉したことが、この記事作成に役立っていることを付記しておく.(『立川志らく「シネマ落語」を聴く』2010年7/13記)