精神と亡霊

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 仲正昌樹金沢大学教授の「講義シリーズ」は、現代の哲学・思想について研究者の知識も問題意識もない立場で学ぶにはとてもよい企画だと思っていて、何冊かをすでに読破している。そう、素人向けの解説書といってもそこらの新書と相違し、重量感があり、原典(翻訳書)からの引用文を追って丁寧な注釈が入り、思考を促してくれる。「読破」する胆力が求められるのである。今回は、ジャック・デリダJacques Derrida)、『〈ジャック・デリダ〉入門講義』(作品社)、いかにも難解な感じ、何とか付いて行きたい。初めの3回の講義は、デリダの『精神について』をめぐって。ハイデガーの評価がテーマの著作であるとのこと、いっそう難しさを覚える。
【ことばの問題】
フランス語のesprit(精神):「精神」の他「聖霊」とか「亡霊」の意味でも使われる。revenant(亡霊)との繋がりに注意。
ドイツ語のGeist(精神):「精神」の他「亡霊」という意味があり、Gespenst(亡霊)で言い換えることも可能。マルクスの『共産党宣言』では、Gespenstは「妖怪」と訳されている。
⃝espritとGeistは完全に一致してはおらず、微妙にズレている。
⃝「亡霊=精神(=妖怪)」と「炎と灰」の繋がりが重要:「神の霊」による浄化を象徴する「炎と灰」:アブラハムが神から命じられていた献祭は(イサク)燔祭→燃やせば灰が出る→悔い改めで灰を撒いたと旧約聖書にある→復活祭の前の四旬節の始まりを「灰の水曜日」といい、灰に関連した儀式が行われる→「ホロコーストholocaust」というのは、燔祭という意味のギリシア語(holocauston)から来たことば。→ナチスだけの悪ではなく、キリスト教の神、炎のような神の言葉が、多くの「炎と灰」をもたらして来たことが思い出される。 

 ヨーロッパの知識人は、その「精神」の名において、ナチスとかファシズム唯物論ニヒリズムなどの「野蛮」に対抗しようとしてきたわけですが、それに対してデリダは、その「精神」というのは、実は、「炎と灰」をもたらす「神の霊」、ユダヤ人を燔祭の犠牲として要求した「霊」、ヨーロッパに取り憑き、祓ったはずなのに何度も何度も戻ってくる「亡霊」と同じものではないか、と示唆しているわけですーー(revenant)の文字通りの意味は、「再び来るもの」です。日本人からしてみれば、それは単なる言葉の上での繋がりにすぎないのではないかという感じがしますし、普通のヨーロッパ人はそう思うでしょうが、デリダは、知的伝統という意味での〈esprit〉と、ヨーロッパに亡霊のように取り憑いている神の霊という意味での〈esprit〉の間に、無視しえない連関があると見ているわけです。(pp.22〜23)