蝶と魂(プシュケー)

 先日どこかのテレビのニュースによると、日本縦断の蝶アサギマダラが九州大分県の姫島に南下飛来したとのことで、無数のアサギマダラがフジバカマの花畑を群舞している映像を番組で流していた。わが家の庭にもこの夏多くの蝶が訪れてくれているが、この蝶は旅先でも観察したことがない。
 https://www.youtube.com/watch?v=Jrpsn1UHvh4(旅するアサギマダラ)
 http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2014/10/09/131357162(『大分合同新聞10/9「旅するチョウ:姫島で一休み」』)
 内山勝利京都大学教授のエッセイ「アポロンの蝶と荘子の蝶」(『哲学の初源へ』所収・世界思想社)では、はじめに「ホメロスの蝶」であるアポロチョウについて紹介している。雌雄2頭の標本を所蔵している(※1頭でも10万円以上)とのこと、羨望のほかはない。荒俣宏著『世界大博物図鑑1・[蟲類]』(平凡社)には、赤い眼状紋が美しいアポロウスバの図が載っている(p.307)。学名Parnassius apollo、欧名apolloである。「ヨーロッパからシベリアにかけて分布し、200以上の亜種に分けられる。ウスバシロチョウは一見するとアゲハにみえないが、幼虫の頭部にアゲハのなかま特有の突起がある」と説明されている。

 http://heumonat.plala.jp/daphne/memorandum/vol(e)/06.html(「アポロウスバシロチョウ」)
 https://www.youtube.com/watch?v=NXlhY7GABQw(スイス:アポロ蝶のお食事タイム)
 http://apollo.ocnk.net/product-list/15(「アポロチョウ標本の相場」) 
 このアポロチョウは、「詩神アポロンの使者たる偉大な詩人のみの命」に寄り添い、詩人ホメロスの末期の吐息とともに立ち去り神のもとへ帰って行ったが、ひとはだれでも各人それぞれの蝶をプシュケー(たましい)として養っているというのが、古代ギリシア人の生命観だったようである。プシュケーは、人魂というに近く、「やせ細ったフェアリー(※fairy=妖精)か、はかなげな蜉蝣のような生き物の姿が、古代ギリシア人にとっての蝶(プシュケー)のイメージでもある」と考えられるとのことである。プシュケーは、ひとが生きている限りにおいては何らの積極的役割を担っていなかったのであるが、ソクラテスプラトンの登場による内面世界の自覚の深化によって、「魂こそが本来の自我のありか」であるとされたのである。そもそも「死のシンボル」として映った蝶は、じつは古代ギリシアの詩歌文藝のどこにも登場していないのである。アリストテレスが蝶の変態過程の「観察事実」を詳細に記述したことは、蝶が一般には遠ざけられていたことの裏返しだったのかもしれないようである。アリストテレス『動物誌』の記述では、
……いわゆる「タマシイ」(チョウ)はアオムシから生まれるが、これは緑の葉、殊にキャベツ(これを「クラムベ」という人々もいる)の葉の上にいるもので、初めはアワ粒より小さいが、次に小さい蛆になり、さらに三日たつと小さいアオムシになる。その後生長をつづけて、ついに動かなくなり、形が変わると「サナギ」と呼ばれるが、これは外被が硬くて、さわると動く。クモの巣のような糸で物についているが、口もないし、その他はっきりした部分は何もない。間もなく外被が破れて、翅の生えた虫が出てくるが、これを「タマシイ」(チョウ)というのである。ところで最初アオムシの頃は食物をとり、排出物を出すが、「サナギ」になると何も食べないし、排出物も出さなくなる。……岩波『アリストテレス全集7・動物誌・上』中第19章。島崎三郎訳:p.159)
 古代ギリシアにおける内面性の発見以降、魂はさてどう扱われたのかといえば、
……とはいえ、魂を死者の身体から抜け出して冥界を彷徨う亡霊のようなものとする考えが、一つの通念として依然根強く存続していたことも、およそ否定できない事実であろう。むしろある意味では、内面世界の自覚は、死後の魂の運命と所在をいっそう強く意識させ、かえって亡霊としてのそれのイメージを増幅させた、とすら言えるであろう。魂の不死と輪廻転生の教義を中核とするオルペウス教が全ギリシアに拡がっていったのは、明らかに、古典文化がある程度にまで発展してのちのことであった。
 それは、「古代のピューリタニズム」として、高度な精神文化の一要素をなすとともに、やがてあたかもソクラテスプラトンの時代に、いかがわしい祈祷師たちをはびこらせることともなったのである。……(『哲学の初源へ』p.221)
 内山氏はさらに「荘周、夢に胡蝶となる」(「斉物論篇」)の『荘子』の有名な一説を取り上げて、胡蝶のイメージに潜在しているものが、『どこか古代ギリシア的な「蝶=魂」という結びつきと根を一つにしているように思われてならない』と述べ、「いずれにせよ、周の夢に胡蝶となり、胡蝶の夢に周となることは、蝶の変身の能力を根底に置いて、その美しい姿に魂の形象化を見るのでなければ成立しないポエジーである」としている。なるほど面白い。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20100802/1280712814(「夏の蝶:2010年8/2」)

哲学の初源へ―ギリシア思想論集

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蟲類 (1) (世界大博物図鑑)

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