三好十郎作、上村聡史演出『斬られの仙太』(新国立劇場)観劇

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    一昨日4/20(火)は、京王線初台下車、新国立劇場小劇場にて、三好十郎作、上村聡史演出の『斬られの仙太』を観劇。午後1時開演午後5時20分終演(2回休憩)の長丁場であった。昼食は、わが定番の劇場向かい側の珈琲館でランチを摂った。公演プログラム略年譜によれば、三好十郎32歳の時、1934年発表の作品で、同年(左翼劇場改め)中央劇場にて初演されているとのこと。当時の舞台については想像がつかないが、上村聡史の演出は、まさに「なにもない空間」(P.ブルック)で幕末の百姓、草莽の志士、役人、博徒などを自在に暴れさせ、音響効果もあって退屈せずに観終わらさせる舞台を創造した。幕末における村落の動向は、NHK大河ドラマ『青天を衝け』でも描いていて、狂気に近い情熱の沸騰ぶりにはここでも呆れるばかりである。
 公演プログラムで、日本近世史・村落史専門の渡辺尚志一橋大学名誉教授は、「幕末の百姓世界—天狗党の背景」と題して解説している。

 

 幕末には、政治情報が村々にも伝わったため、日本の政治体制は今のままでよいのか、諸外国にいかに対峙すべきかといった問題を、自分自身のこととして真剣に考える百姓たちが増えてきた。考えを同じくする武士と行動を共にする百姓も現れた。その代表的な事例が、水戸藩である。水戸藩は御三家の一つとして幕府を支える立場である一方、尊王攘夷思想が藩士の間に広く受け入れられていた。そのため、藩士内部に、幕府と朝廷との間でいかなる立場を採るか、尊王攘夷をどう実行するかをめぐって、相対立する複数の党派が生まれ、政争が激化した。そして、急進的に尊王攘夷を目指す一派が天狗党であった。(p.25)

    決して幕府権力対尊王攘夷派反権力という図式で展開するのではなく、反権力側にももう一つの権力志向があり、それが草莽の志士・百姓らを操ろうとしていたり、幕府権力側がその動きに乗じてやっかいな反権力勢力の一掃を企むなど、権力をめぐる複雑な深層構造を炙り出していくのである。その中で主人公の仙太が苦悩し、決断し、仲間の裏切りの刃に倒れる。しかし暗転、20年の歳月が流れ、仙太は「斬られの仙太」という伝説の呼び名で一人の老百姓として生き続けていたのであった。自由民権運動の闘士たちが党派的なシンボルとして利用しようとして村にやって来る。繰り返しである。外から地域住民に「寄り添う」と称して今日でも、いろいろな活動党派があらゆる被害地域に足を運ぼうとする。(少なからぬ勢力は)権力志向の反権力活動に利用しようとするのであろう。
 仙太役を演じた伊達暁(さとる)以外は、どの役者も複数役をかけ持ちで、目まぐるしいところもあったが、慣れてくれば違和感はない。藝者お蔦役の陽月華(ひづき・はな)はさすがに元宝塚宙組娘役トップの女優で、それこそ華があり、巧い。2012年10/15帝国劇場で、ユーミン貫地谷しほりとの共演の音楽劇『8月31日〜夏休み最後の日〜』を観ているが、終演後のカーテンコールで、ユーミンを真ん中にして貫地谷しほり陽月華が交互に、ユーミンの「卒業写真」を歌ったことが思い出された。

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 上村聡史演出の舞台は、カミュ作品、サルトル作品など知的刺激を与えてくれる。今回3度目である。またいつか観たい演出家の一人。

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