田中美知太郎『古代哲学史』(講談社学術文庫)を読む

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 西洋古典学ギリシア哲学の泰斗田中美知太郎の最後の著作、1985年筑摩叢書の一冊として刊行された『古代哲学史』が講談社学術文庫に加わって上梓された。しかも解説は、現代気鋭の哲学者國分功一郎氏。昔ギリシア哲学では、山本光雄・藤沢令夫・廣川洋一・斎藤忍隨・川島重成ほか多くの西洋古典学者の書物に接してきているが、田中美知太郎の著作は割合よく読んでいる。とくに、『ロゴスとイデア』(岩波書店 1957年9月刊)と『ソフィスト』(講談社学術文庫 1976年10月刊)には感動した記憶がある。今回『古代哲学史』は、初めて読むことになる。巻末解説を愉しみにじっくり読み進めたい。

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……無論、真実在は耳目に示されるようなものではなく、むしろ論理的思考によって捉えられるようなものでなければならないというのは、既にパルメニデスの思想であったとも言われる。しかしながら、パルメニデスの思考は、なお大胆な想像力によって動かされていて、その真実在も物体的なものであったと言わなければならない。
 しかしソクラテスにあっては、正義や勇気や節制や敬神などについて、それの本質が何であるかが問われていたので、もはや物体的なものとは考えられず、ちょうど「何であるか」の定義に対応するがごとき、純粋に論理的な——あるいは言論のうちにのみ把握され得るような——本質が目指されていたことを知らねばならない。しかもソクラテスが、「何であるか」を問わねばならなかった本質というのは、パルメニデスの真実在のように、一切の人間的な思わくを否定して、いわゆる現象とは全く没交渉にあると考えなければならないようなものではなく、むしろ、いわば現象の本質として、現象的ないろいろの実例から、その定義が吟味されなければならないようなものだったのである。(『古代哲学史』pp.51〜52)

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 西洋古典学とくにプラトン研究の斎藤忍隨氏は、1986(昭和61・丙寅)年1/21に亡くなっている。令夫人と初めて就職した職場(都立白鷗高校定時制)が一緒だったことで、最期の年にご夫妻連名の年賀状をいただいた。いまもたいせつにしている。

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