「戦慄」あっての合理的精神

 地中海文化を語る会編『ギリシア・ローマ世界における他者』(彩流社)所収論文、川島重成氏の「〈ダイモーン〉の顕現」は、『イリアス』『オイディプス王』『ソクラテスの弁明』に通底するものとして、〈ダイモーン〉経験があるとし、それは、人間を超えた存在への戦慄の経験であり、原初的な〈神〉経験である。このアモルフなダイモーンがやがて、特定の名前と個性をもったオリュンポスの神々として表象されるに至り、戦慄は、「感嘆=タウマゼインthaumazein」と変化したところにギリシアの合理的精神が誕生したのである。しかしこの合理的精神とは、不死や、無限を求めることなく、己が限界を覚めた目で凝視する精神性、つまりデルポイの格言「汝自身を知れ」に通じる宗教性と別でなかった、ということである。オリュンポスの神々が昼間の顔だとすれば、ダイモーンは夜の顔であり、
『あのオリュンポスの神々に対する感嘆(タウマゼイン)とともに決定的に歩み始めたギリシアの人間文化(あるいは合理的思考)は、人間を超えるもの、人間にとっての究極の他者、〈ダイモーン〉的なるもの(非合理的なもの)によって裏づけられ、根拠づけられていた、と称してよいのではないでしょうか。』

ギリシア・ローマ世界における他者

ギリシア・ローマ世界における他者