アナキズムあるいは忠義について

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 荒木優太氏の『有島武郎』(岩波新書)では、有島武郎は、「アナーキズムに大きな共感を寄せていたが、どこまで没入していたかは、いささか判断にためらわれます」とし、特に晩年、「マルクスとともにクロポトキンの理論的性格、頭でっかちに自身もろとも実際の労働者との懸隔を読みとります」。また、国家に頼らない共同体をめざす「アナーキズム」は、「暴力のマネジメントも自前でまかなう必要がでてくる」、つまりときには私刑(リンチ)にまで高まる私的暴力が、その連帯の背後に存在するだろう、と洞察していたとのことである。

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バクーニン論」の著作がある千坂恭二氏のTwitterの発言をみずから選択整理して、『哲学問答2020』(現代書館)が上梓された。こちらはフォローしていないが、時どきフォローしている人のRTで千坂氏の発言を読む機会を得ている。冒頭から刺激的な発言が出てきて、先に進むことができない。

 封建的な責任論は、主君への忠義論になるが、そこには公的根拠がない。封建制の主君と家臣の主従関係は、本質的に私的なものだからだ。近代の自我は当初は神を背後に持っていたが、神が自己化されることで自我は無根拠になる。その無根拠な自我の存立可能性として封建的な無根拠の忠義論が考えられる。(2017年3/2) 

 

 封建的な忠義論は、主君への忠義だが、近代の自我においては自己への忠義になる。つまり、自己の自己への忠義が、近代の独立した自我を可能としたのであり、そして、この無根拠な忠義こそが、自我における自己確立とニヒリズムの秘密だろう。もし、無根拠な自己への忠義が無ければ、自我は解体しよう。(2017年3/2)

 いまHulu配信中のトルコの大河ドラマオスマン帝国外伝』シーズン4では、謀略によって民衆に人気のあったムスタファ皇子が、スレイマン皇帝(スルタン)の命で処刑されてしまう。ムスタファ皇子の腹心の兵士であったアトマジャ は、復讐に生きる道を一時放棄して、ムスタファが「自分がこの世にいなくなることがあった時は、弟のバヤジトに忠節を尽くし玉座につけるようお助けせよ」と処刑の前夜自分に語ったことを思い起こし、バヤジトに忠節を誓うのであった。いっぽう、ムスタファ皇子の側近であったタシュルジャルは詩人でもあり、読んだスレイマンが立腹する詩句も含んだ挽歌を詠んで、宮殿を立ち去る。近代の自我ではない自我のあり方をめぐって面白い。