6月大歌舞伎公演・第3部有吉佐和子作『ふるあめりかに袖は濡らさじ』観劇

 昨日6/27(月)は、歌舞伎座にて6月大歌舞伎公演・第3部有吉佐和子作『ふるあめりかに袖は濡らさじ』を観劇。千穐楽公演であった。歌舞伎の世話物狂言と新派劇が融合した舞台で、齋藤雅文坂東玉三郎の演出、坂東玉三郎(藝者お園)・中村鴈治郎(岩亀楼主人)・中村福之助(通辞藤吉)の歌舞伎役者と、河合雪之丞(花魁亀遊)・伊藤みどり(遊女マリア)・喜多村緑郎(思誠塾門人岡田)・桂佑輔(米人イルウス)ら新派役者が共演している。横浜遊郭の華麗な舞台装置は歌舞伎、港の時折聞こえる汽笛の音が醸し出す雰囲気は新派の舞台。河合雪之丞の亀遊が花魁姿で大広間に登場したとき、その艶やかさに思わず息を飲んだ。
 アメリカで医療の修業を志す通辞藤吉と密かに恋しあっていた亀遊は病の床に臥せっていたが、徐々に快復しつつあったあるとき、米人イルウスから借金の600両の支払いで身請けの約束を岩亀楼主人と交わされてしまう。亀遊は自害し、そのことが攘夷の大義に殉じた女郎として評判となり、亀遊の人生の悲哀と絶望、晩年の儚く切ない幸せを知っていたお園が、酒の力をも借りて「攘夷女郎」の伝説の語り部となる。語り継がれる虚構の底に、お園は亀遊の人に知られてはならぬ哀しみの真実を封じ込めたのだ。幕末における悲憤慷慨の正義派=攘夷派の浪士たちを前にして、どんどん虚構の物語をいかにも思いついたように喋り出すお園を、坂東玉三郎がみごとに演じ切り、幕切れのひとり虚空に視線を向ける佇まいに痺れるばかりであった。
 なお最前列でもほとんど右端に近く、左耳難聴のこちらとしては、抑えた玉三郎の声がよく聴き取れないところもあり残念であった。イルウス役の桂(けい)佑輔さんが、わが高校のはるか年少の同窓と知らされ慌ててチケットを購入したためである。桂佑輔さん、いかにも好色な米国人そのもので好演、感心した。有吉佐和子の(小説ではなく)戯曲原作が読みたいと探すと、「日本の古書」でも在庫なし、お手上げであった。

 

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