小説・舞台の形式的な必然性


 新論説集『マージナリア』(同誌運営委員会発行)第7号巻頭の対談「遊び/物語/プロセス」は、それほど刺激的ではないが面白い。SF小説創作以外にも多彩な活動をしているらしい沖田征吾さんと、それぞれ研究者の田邊裕子さん、田中涼介さん、宮田晃碩さんらの対談で、小説を書いたり読んだり、演劇の舞台を創造したり鑑賞したり、という行為が必ずしも自明あるいは形式上必然ではないのではないかと問題提起している。なるほど。
田邊:アニメとかドラマとかゲームじゃなくて、文学じゃなきゃいけない理由ってあるんですか?
ロバ(沖田):これは長くなりそうだぞ(笑)。
田邊:いやなんか、ファンタジーっていったらゲームの世界にもあるし、ドラマとか、それこそバラエティのほうが……「嵐は本当にいるのか?」とか、そのほうがよっぽどファンタジーっていうか……ライブとか。
ロバ:ああ、ライブとか。アニメやゲームでもたぶん、何かしら与えられるものはあると思うんだけど……、でも、まあ小説だけが与えられるものはやっぱりあるとは思います。
田中:それは、作る人としての必然性としてっていうことですか?
ロバ:じゃないかな。
田邊:ん? 作る人としてなんですか?
ロバ:作る人……ジャンルとしての必然性なのかもしれない。
田中:ああ、ジャンルとしての必然性。
ロバ:小説でなければならない理由……というかもう小説なんて誰も読まない(笑)。ちょうどアメリカで小説を読んでいる率が軒並み低下しているという記事を読みましたけど。
               (間)
ロバ:僕は、まあ、あると思います。小説じゃないといけない理由……。たとえば一個挙げると、さっき言った複雑な構造みたいなものは、小説が一番強い。アニメとかドラマとかは、時間が決まっているから、かなりその中で解決しなきゃいけないとか、どうしても見せなきゃいけないみたいなものがあると思うんだけど、小説はそこはかなりすっとばせるし。
田邊:でも、すっとばすから人気ないみたいなことはないんですか?
一同:(笑)
田邊:小説に恨みがあるわけではないんですけど(笑)でも、どうなんでしょうか。戦えてるんですか。ファンタジー的な意味で。
田中:それは、おっきいマーケットみたいなところから見たときにという?
田邊:マーケットっていうより……だから、書く方として小説が必然的だっていうのはわかるんだけど、受け取る方にとって小説じゃないと経験できないことっていうのが、今言ったことで十分なのか……。
               (間)
田邊:舞台じゃなきゃいけないのか、っていう問いももちろんあると思っていて。これはすごい思うんですけど、ドラマってすっぴんで裸でうちわ仰ぎながら松潤見れるのに、なんでわざわざ洋服着て電車乗って劇場まで行かなきゃいけないんだろうみたいに思うじゃないですか、テレビタダだし。
一同:(笑)
 発行人の三村一貴さんは、かつて俳句甲子園で名を馳せた来歴を持ち、現在は中国語・中国文学の研究者。「論語註・其四」を載せている。『史記孔子世家の孔子像をめぐって、『周易』の解説を基に「(※高みに達した)孔子には旣に頼るべき師はゐなかったが、舞ひ降りて羽を休めるべき門人たちを持ってゐたのが、せめてもの幸福であった」と解説している。勉強になる。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20100907/1283849567(「後生畏るべし—開成二冠:2010年9/7 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20140421/1398048868(「学問と情熱:2014年4/21 」)
 今号で『マージナリア』を離れるとの編集長鷲見雄馬さんは、三村一貴さんとともに高校時代から『マージナリア』を育てきた、現在ニーナ・アナニアシヴィリ(Nina Ananiashvili )率いる、トビリシジョージア国立バレエ団(State Ballet of Georgia)所属のバレエダンサー。2016年7月の福岡インターナショナルバレエフェスティバルのレポートを載せている。何となく鑑賞の視点の一端が窺えて参考になった。
 http://chronica-dancers.blogspot.jp/(「すみゆうまのブログ」)
 http://hirosekato-ballet.com/?page_id=340
             (「千葉【広瀬・加藤バレエスタジオ】)
 https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=747717561953039&id=479338195457645
             (「Facebook:広瀬加藤バレエスタジオ」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110930/1317369087(「グルジアで思い出すこと:2011年9/30 」)