日本のジャーナリスト・評論家


 池内恵(さとし)東大准教授のブログ『中東・イスラーム学の風姿花伝』の、「イエメンのドキュメンタリーの行方:4/11記」で紹介されている、動画である。「The Houthis」は、アラビア語でフーシ(またはフシ)、イエメン北部を拠点に活動するイスラムシーア派の一派ザイド派武装組織である。このYouTubeの動画は、源は、BBCおよび、米公共放送PBSの看板番組のFrontlineの共同制作ということである。編集は、サファー・アハマド。PBSでのサファー・アルマドへのインタビューも世界に向けて発信されている、とある。池内氏は、「現在のイエメンについて、現地の実態に触れながら、一定の距離をとって議論する際の基本的な論点や立場が示されているのではないかな」とコメントし、
……ジャーナリストとかコメンテーターっていうのは、こういう水準のものなの。そういう人は日本には、ほとんど全く、いません。それはつまり、市民社会の質が低いということなのです。取材によって現象の中から支配的な論理を抽象化できないジャーナリストは、ジャーナリストではありません。「俺は誰々に直接インタビューしたことがあるんだ」といった自慢話はいらん。そこで何をあなたが見出したか、それを的確に言葉と映像で伝えられるか否かが、ジャーナリストの評価基準である。この評価基準そのものをわかっていないで番組を作る人たちは、ジャーナリストではない。
もちろんデマに踊り踊らされるコメンテーターとかも、いりません。もっと能力がある人を探してくるのがテレビ局の義務ですし、能力のない人は能力のある人に追い落とされることが、競争社会の必要なメカニズムです。……
 http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-303.html(「イエメンのドキュメンタリー:中東イスラーム学の風姿花伝」)
 また池内恵氏の本日付けのFacebookの記事では、「学会とメディアと(研究・報道の対象となる)社会は連動して、現実の変化に対応して変わっていく。このことを感じられる学会・知的コミュニティが日本では少ない」と述べ、日本の学者の世界では、自分の学生時代に欧米で流行していた学説を一生をかけて唱えていたりするので、批判がしにくいとし、
……批判しにくいが、学説が出たその瞬間から現実は移り変わり、現実を捉える学説も(欧米では)変わっていく。ところが日本では、学説が属人的に、人格として、代理店機能を果たす学者に帰属するので、学者個人の言っていることが、現実の変化にあわせて変わりにくい。ネタ元は数十年前の外の世界のなんらかの現実と、それを対象化した権威的な学者・学説にあるからだ。
世代が変わって違う人が出てくると、前のものが批判されずに、「新しい流行の学説」が輸入され(密輸の場合もある)、支配的になり、「バスに乗り遅れるな」とメディアも乗っかる。
丸山真男が批判したことってこういうことだったと思うんですが、丸山真男を担ぐ言説自体が、「自分が勉強した時に丸山真男のこういう部分が流行っていた→一生それを言い続ける」というモードに嵌っていないかな?
ごく少数の、リアルタイムで現実を見ながら理論を作っていく人は、「ジャーナリスト・評論家にすぎない」と陰口を言われる、という、ふと考えるとかなり絶望的な世界が広がっている。
でも頑張るしかない。
「過ぎない」なんて、ジャーナリストや評論家に失礼だよな、と思うのだが、問題は本来のジャーナリストや評論家と言える人が日本にいるかというと・・・なのだ。……

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

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⦅写真は、東京台東区下町民家のチューリップ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆