ウルトラマンと沖縄

 與那覇愛知県立大学准教授の『日本人はなぜ存在するか』(集英社インターナショナル発行)は、最初に、「日本人」といえば客観的に実在する確かな集団との思い込みを、まさに思い込みでしかないとして糾している。認識論において、間違いのない事実とされる自然現象であっても、認識の仕方によって事実(現象)がはじめて現われている場合があることを、野矢茂樹氏の『哲学の謎』を援用し説明している。例えば、「赤い夕焼け」という自然現象も、だれにとっても絶対的に現われるのではなく、人間が「赤い夕焼け」として認識することがあって「赤い夕焼け」の現象が現われているのだと考えられる。すなわち、現実→認識という一方向の単純な流れではなく、認識→現実の流れもあって、「赤い夕焼け」は〈確かな〉現象として現われているということである。現実と認識とのあいだでループ(loop:循環)が生じているということ、このことを「再帰性(reflexivity)」という。
 この「再帰性」をめぐって、社会学者ロバート・K・マートンの『社会理論と社会構造』での「自己成就的予言」について紹介し、人間の認識(の仕方)が社会現象にも影響してしまう場合があることを考察している。(マートンの「予言の自己成就」については、かつてわがブログでとり上げている。)
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20110516/1305533558(「予言の自己成就」)
 さて本日4/4は、1879(明治12)年琉球藩が廃され沖縄県が設置された日である。
 http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m12_1879_01.html(「琉球処分」)
 與那覇潤氏は、この書第4章『「日本民族」とは誰のことか』のところで、沖縄の人々のアイデンティティについて考察している。沖縄の文化も日本の文化の一つであるから尊重されるべきであるとの考えを核とした、伊波普猷(ふゆう)の「日琉同祖論」を紹介し、「はたしてその路線は、正しかったのか。その帰結を知っている私たちは、悩まずにはいられません」と述べている。そして沖縄出身の金城哲夫のことをとり上げる。彼は、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の「ウルトラ」シリーズを監修した人。宇宙人と地球人とのアイデンティティに悩むウルトラマン(防衛隊員)は、「沖縄出身だった金城ならではの思想や葛藤が反映していることが知られています」。
 1995年米兵の集団による少女暴行事件、1996年日米両政府、普天間基地返還で合意、1997年名護市住民投票過半数が移設反対という、沖縄問題の激動期の1996年『ウルトラマンティガ』が開始する。與那覇潤氏は『ウルトラセブン』との相違に注目している。
……そのさなかの放映となった『ウルトラマンティガ』の結末では、主人公ではなく恋人の女性隊員の側が、「どうしてひとりで抱え込んじゃうの……ウルトラマンには、たったひとりで地球を守らないといけない義務でもあるわけ?」として、正体を知っていることを口にします。いわばウルトラマン(沖縄)の孤独を、地球人=日本人の側から思いやることばが発せられたのですね。
 この作品が好評だったため、「平成のウルトラシリーズ」は2006〜07年の『ウルトラマンメビウス』まで10年間続くのですが、同作品ではついに、主人公が最終回ではなく、放映半ばで正体を明かします。後半では地球人の隊員隊員たちが、しごく普通に「おまえはウルトラマンだよね」と知りながら、一緒に戦う姿が描かれた。第1作から40年をかけて、ついにウルトラマン仮面ライダー並みになった瞬間とも言えるでしょう。まさにその40年間は、「民族」や「日琉同祖論」といった用語を使わなくても、沖縄の人々が自分たちのことを「日本人」だと考えるようになるために、かかった時間でもあったはずです。……(同書pp.85~86)


[file:simmel20:UmibenoHaka2.pdf](沖縄を舞台にした掌篇小説「海辺の墓」『雲』2010年6月号掲載)