上記AFP・BBニュースによれば、『記念碑の制作を手掛けた芸術家マギ・ハンブリング(Maggi Hambling)氏は、夕刊紙イブニング・スタンダード(Evening Standard)に対し、ウルストンクラフトは「すべての女性を体現しており、衣服を着せると彼女を制限してしまう」とし、このため、特定の時代の服を着せて表現したくなかったと説明した』。
ヌードの記念像の是非について、実物もわからないので意見も感想もない。かつて熟読した水田珠枝(現)名古屋経済大学名誉教授の『女性解放思想史』(筑摩書房1979年2月初版)を思い起こしたことであった。メアリ・ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft)については、第四章「ウルストンクラフトにおける理性と感情」で取り上げられている。緑色の傍線が引かれてあるいくつかのところを再読してみた。
(左下肖像画が、メアリ・ウルストンクラフト:1759〜1797)
……したがってウルストンクラフト の思想は、人間の社会的地位はその経済的役割によって決定されるという、後の社会主義思想にも通じるものがあるといえるだろう。けれどもかの女は、社会主義者のように、女性の地位向上の手段を、女性の経済的地位にもとめるよりは、まず道徳的改善にもとめるのである。(p.122)
……かの女は、理性を進歩の原動力とみてこれまでの合理主義を一応はひきつぎながら、理性の上に高尚な感覚をおいて理性の地位を相対的に低めるのであって、こうした彼女の論理は、ロマン主義の先駆としてのルソーのそれと近いものがある。(p.139)
……国家も家族も法律も廃止して、すべての男女を理性的人間として平等にするというゴドウィン主義は、たしかにブルジョワ合理主義の欠陥をするどくついてはいたが、国家や家族や法律の廃止された社会において、男女の平等を保障するものがなにかが明確にされないかぎり、現実性をもたないのである。ウルストンクラフトは、合理主義の立場からの女性解放の展望がとざされたことを認識したのであり、そのためにロマン主義へと思想をきりかえるのである。(p.144)