廃墟のアパート

 5/12(日)は「母の日」ということで、わが老母(98歳)の見舞いに浅草まで出向いたが、その帰路、東上野5丁目の「同潤会アパート(上野下アパートメント)」に寄ってみた。この6月に解体されるそうで、東京・横浜に建てられた16の「同潤会アパート」の最後に残った建物とのことである。昔清洲橋通りを渡って上野の杜へ行く折にたまにこの前の路を通ることもあった。
 夕闇のなか写真撮影をしている人たちがいた。外国人男性と日本人女性のカップルもいた。いっときの観光名所になっていたのだ。こちらも同じ(?)野次馬である。本格的装備で撮影中の人の背後から遠慮しつつデジカメのシャッターを押した。

 http://blog.goo.ne.jp/asabata/e/e65ca7b78cd1598a08df4cad336052a7
(「同潤会上野下アパート」)
 社会学者の吉見俊哉氏がかつて書いている。
……たとえば、都市を物理的な環境として見る視点からコミュニケーション・システムとして見る視点への転換を主張したメルヴィン・M・ウェッバーは、場所のコミュニケーションと関心のコミュニティを区別し、後者が地理的な遠近とは関係なく広がっていることを強調している。ウェッバーによれば、都市のコミュニティにとって重要なのは、空間的な近接性(propinquity)ではなく、むしろ社会的な接近可能性(accesibility)なのである。この点からするならば、電気的なメディアの発達により、一定の物理的な空間のなかに共棲していることの重要性は、現代では次第に低下しつつある。……⦅『メディア時代の文化社会学』(新曜社)pp.48~49⦆
 しかし都市生活のなかでの〈一瞬の反転〉として、廃墟もしくはそれに限りなく近い空間となってしまった、かつての共棲の生活空間に憧れることもあり得るだろう。いやその場所との偶発的な遭遇の体験でさえ、動画によって〈拡散〉されるのだろうか。

メディア時代の文化社会学

メディア時代の文化社会学

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上ヒメヒオウギ(アノマテカ・ラクサ=Anomatheca laxa)、下ハナキリン花麒麟)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆