與那覇潤愛知県立大学准教授の『中国化する日本日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)は、知的スリリングに満ちた書である。300頁ほどを二日で読了。「中国化」と「江戸時代化」という、対照的な社会構造あるいは文明にむかう方向性を類型化し、高校日本史段階の誤れる日本史像を解体・再構築している。面白い。大学での講義録に近いかたちで議論が展開されているので読みやすい。一つ一つの指摘は、最新の学問的知見と成果を踏まえているので、大いに勉強になる。中等教育における歴史教育を罵倒することばがやたらと多いのは、職業人としての怒りからか。
「中国社会のあり方に似てくること」が、本書で述べる「中国化」であり、その中国社会のあり方は、世界に先駆けて「近世(Early Modern)」に入った、宋王朝の時代に導入されたものが源とされる。この時代に成立した基本的な構造が、「今日の人民共和国に至っても、ほとんどなにも変わっていない」。
宋王朝にあって、(1)貴族制度を全廃し皇帝独裁政治を始めたこと、(2)経済・社会を徹底的に自由化し、その代わり政治の秩序は一極支配によって維持するしくみをつくったこと、の二点が画期的であった。具体的には、科挙・殿試によってあらゆる官僚が皇帝個人の子飼い同然扱いとなり、中央集権が徹底され、貴族の力が削がれた。「郡県制」によって、数年ごとに任地を巡回させられる官僚は、地元に地盤を築くことはできなくなった。「青苗法」によって、あらゆる農民は、物納ではなく、国から融資を受けながら農作物を市場で販売し、国庫返納時に返す。ここから自由市場ベースの経済発展が始まり、自給自足的な荘園経営が成り立たなくなった。この自由競争の保険として、「宗族」と呼ばれる父系血縁のネットワークで、「父方の先祖が共通であれば、どこに暮らして何の職業について誰と結婚していようとも、同族と見なしてお互い助け合おうというしくみ」が根を下ろした。土地の緊縛を超えた個のネットワークということになる。
皇帝および科挙官僚集団の権力独占をコントロールする機能を果たしたのが、「理想主義的な理念に基づく統治行為の正統化」で、朱子学がその土台となった。
これに対して「江戸時代」に完成した日本の文明の特質は、(1)政治と道徳の弁別(政治は利益分配のことで、高邁な政治理念や、抽象的なイデオロギーの出番はあまりない)、(2)地位の一貫性の低下(政治的・社会的地位と経済的地位が一致しない)、(3)農村モデルの秩序の静態化(前近代における世襲の農業世帯が支える地域社会の結束力が高い)、(4)人間関係のコミュニティ化(「イエ」および「ムラ」への帰属意識が優先される)の五つで、宋王朝以来の中国社会の特質をそのまま裏返したものである。
宋の時代以降中国史において、明王朝の時のように「江戸時代」的な社会への揺り戻しがあっても、それは例外的で基本の構造は継承されて現代に至っている。日本史の場合は、後白河・平清盛・後醍醐・足利義満のときに「中国化」の契機が生まれたが主流とはならず、一度は銭納化されたはずの年貢が米で納めるという逆行現象が生じ、「究極の自給自足的農業政権である徳川幕府ができる」。明治維新による「中国化」のあとも、第二次世界大戦のあとも、「再江戸時代化」の逆行は起こっているのである。
「メロンのように大きな実がブドウのようにたくさんなる」木を意図して作ったところ、「ブドウのように小さい実がメロンのように少ししかならない」「ブロン」になったとの星新一さんの掌篇の話をもとに、中国式と(江戸)日本式を混合しても、危うい結果を招くとし、現代日本社会はこのブロンの問題に直面していると考えられる。
……言い方を変えると、日本を「中国化」させて自由競争中心の社会にしたいのか、「再江戸時代化」を維持して多少停滞気味でも安定した社会にしたいのか、政治家自身がよく考えないまま「維新の志士」気取りの動機オーライ主義で行動し、有権者もわかっていないまま百姓一揆根性の「ええじゃないか」で踊り狂っているだけだから、首相や党名は入れ替わっても日本社会は全然変わらず、政治不信ばかりが募るという話になっているのです。……(p.250)
世界全体が「中国化」しつつある中、もはや「江戸時代」的な「ムラ」および「イエ」というセーフティ・ネットが崩壊している日本社会はどう生き残って行くべきか、これが著者與那覇潤氏が突きつけた問題意識である。その他細かい歴史事象に関する学問的知見に驚くことが、少なくなかった。
http://agora-web.jp/archives/1406384.html(與那覇潤准教授ご自身の論旨紹介)
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