治療ニヒリズム

『考える人』2013年春号を予約購入してしまった。「没後30年記念特集:小林秀雄 最後の日々」の特集に釣られたわけだ。『東京新聞』4/11「大波小波」で指摘しているように、「最後の日々」などは関係なく、メインの記事は、1979年7月23日の、河上徹太郎との対談で、他界する4年前に行われたものである。写真によれば、二人の卓には徳利と酒肴が置かれている。付録にこの対談音源CDが付いているが、「大波小波」に「かなり酔った小林のひどくガサツな聞き苦しい放談が入っていて、記録価値とは別に、不愉快だ」とある。いまなおカリスマに心酔する読者は、これはこれで大満足であるらしい。 
 散財したかと思ったところ、養老孟司氏の『ヨーロッパの身体性』という連載エッセイの第5回「ウィーンと治療ニヒリズム」の題名に惹かれ読んでみた。面白い。ウィーンのナレントゥルム(ウィーンの最古の精神病院として建てられ、現在は国立病理解剖学博物館の一部)と、ヨゼフィヌム(軍医養成の医学校として建てられ、現在は医学史博物館)を訪問したときの体験と考察を述べた書き出しで、ムラージュ(人体・内蔵の蠟模型)と実物標本の違いについての話が興味深い。二つは「要するに同じ」とする人は、都会人と見なすことができ、「都会人はある点で繊細だが、その繊細は別な乱暴の上に成立している」。
 18世紀〜19世紀にウィーンでは、治療に関してはできるだけ自然の治癒力に任せる、という考え方の治療ニヒリズムと呼ばれた現象があったそうである。これは現在の自然食品志向のような、自然志向の考え方であるとのこと。治療ニヒリズムを生んだ都市の自然志向の思潮は連綿と続き、(脱原発でこのところ脚光を浴びている)ドイツの緑の党の出自もそれであろうという。自然志向も二つに分かれ、意識的に強く自然を統制しようとする方向と、もう一つはなにもせず「自然に任せる」という方向である。前者の極には、ヒトラーの意識的な健康志向があった。
……自然原理主義(そんな成語はないけど)は都会が必然的に生み出す傾向の一つである。私はそう思うようになった。それが医学に出てくるのは、医学が「自然としての身体」を意識的に扱う以上、当然であろう。都市の立場に立って自然を扱う、その典型が医学である。だから大都会ウィーンで治療ニヒリズムが発生する。自然志向は田舎にはない。当り前で、連日自然と戦うしかない人間に、自然志向もクソもない。だからといって「意識で自然を扱う」のは、昔もいまもむずかしいのである。……(pp.134~135)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の上アルストロエメリアorアルストロメリア(Alstroemeria)、下ハナミズキ(花水木)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆