文藝同人誌「凱」

 文藝同人誌「凱」は、鴻みのる氏が存命のころ、個人的つながりで送っていただいていた。鈴木楊一氏が亡くなり、鴻みのる氏などが同誌に追悼文を書き、その鴻みのる氏が亡くなり、大森光章氏などが同じく追悼文を寄せ、その大森光章氏もすでに泉下の客となってしまった。その創作が常に叱咤激励ともなった、力ある先達らの不在は、寂しい限りである。
 鴻みのる氏の作品では、「凱」26号発表の「佷(いすか)しん坂」が、芥川賞候補作となった「奇妙な雪」とともに、あるいはそれ以上に印象的で好きである。「凱」20号掲載の、わが『メドゥーサの眼』(龍書房)へのreviewは、大いなる励ましとして忘れないことにしたい。

B00KS 渡辺勉著/龍書房刊/¥1500 『メドゥーサの眼』を読む 鴻みのる    
 好きな作 家の新作に接するのは、 限りなくう れしいことだ。近年、刮目すべき集大成活動を展開している 庄司肇、待望久しい力作「漂泊家族」を発表 の大森光章。共に年輪を重ねた筆の冴えを見 せて、頼もしい。もう神の手が描かせたかと 思うほかない佳編、庄司肇の「痙攣」(『天から降る白い花』沖積舎・平8)を、私は幾度 読み返したことだろう。多くの熱狂的な愛読者を持つ大森光章の長く深い沈黙は一種の罪 にも等しく、私など「王国」(『星の岬』叢文 社・昭57)を繰り返し読むことで、のどの乾きを自ら癒やしてきた気がする。「菊屋橋分室」(『十一の短篇』菁柿堂・昭58)に魅せられて以来、注目している気鋭の作家、 渡辺勉の新著『メドゥーサの眼』(龍書房・ 平13)を読めたのも最近の楽しい出来事の一 つだ。彼は該博な学殖と旺盛な知的探求心の 持ち主だが、簡潔平明な表現を心がけて、それらをひけらかさない。前作に比して一見、 精神的な退嬰かと思わせて、なかなかどうし て確実な前進ぶりを示している。修飾節は極端に減り、センテンスは概して短縮されてい る。削ぎ落とし、なるたけシンプルに刈り込 んで、その結果、切り捨て去ったものが快く 行間を支えている。韜晦がなく、細部にわた って知的な処理が施されているから、読後感 がいい。 「阿部定幻想」を巻頭に、「短篇ほどの眠りを」 「モーパッサン風」……とタイトルも小粋で、 作者はコント風の軽みが好きらしい。筋の運びはいずれも快調で、少しも肩が凝らない。結末がちょっぴりほろ苦いのも全作品に共 通しているが、これは作者の腕の冴えという ものだろう。とりわけ私が好きなのは「茜の声」だ。茜はかつて保が勤める予備校の受講 生で、大学生になった今、彼の教務室を気紛 れに覗きに来て、しばしの接触が始まる。別の秀作「アビシニア」にも言えることだが、 渡辺勉は若い女性を描くのが抜群に巧い。ち ょっとコケティッシュで、時代の風をいっぱ い身につけている茜の挙措のディテールのさ りげなく鮮やかな描写には、舌を巻くばかり だ。 〈茜と唇を合わせたい衝動にかられたが、額 のガーゼが気になった。彼は頭を右に傾けて 接吻するかたちでないと、うまくいかない錯 覚がいつもしていたのだ。左に傾けてしたこ とは今までにない。彼女の額のガーゼが邪魔 するように思えた。〉  頭を左に傾けないところがいい。自恃というか、ここに作家の美学がある。私ならすぐ 頭を左にして、闇雲に唇を貪るところだが、 渡辺勉の美意識がそうさせない。直後、茜が 言う〈いや、作者が言わせている)。 「先生のは評論なんですよ、結局はみんな」 この冷徹な眼が、文学を高みに引き上げて いる。 しかし、と私の期待心が言わせる。彼はここに留まるべき器じゃない。もっと別な、はるかな頂を持つ白嶺へ……と。

鴻みのる集 (房総文芸選集)

鴻みのる集 (房総文芸選集)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町に咲く、カランコエ(紅弁慶)の花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆