紫煙と女性

 昨日3/7の『東京新聞』夕刊「大波小波」欄で、紫煙をくゆらせる文士について述べられていた。
……嫌煙家は顔をしかめるかもしれないが、太宰に限らず、文士には紫煙がよく似合う。ひとり机に向かって頭を悩ます作家にとって、たばこは不可欠の精神安定剤だったのだろう。彼らの顔はかって雑誌のグラビアを飾っていた。笑うにせよ睨むにせよ、紫煙を透かして光る眼光に読者は知的な啓示を読みとり、顔の皺に時代の精神を感じていた。それが今は、つるつる肌の芸能人ばかり。紫煙も文士も煙たがられるだけの存在になるのか。……
 匿名のこの筆者自身が喫煙者として書いているのか不明で、とくにどうしろという話ではなさそうである。文士の顔といえども雑誌のグラビアに載る写真であれば、そのひとのポーズには違いない。いまの時代は、文士が〈スター〉ではあり得なくなったということだろう。別にそのことじたいは嘆くことでもあるまい。
 こちらは非喫煙者で喉が弱いこともあって、卓を挟んで呑みながら煙草を吸うひとを相手にするのは苦手であるが、やめてもらうことまでは求めない。どうせこの人物は長生きはしないだろうと予測するのみである(冗談)。 

 2月のBSプレミアムで、『名探偵ポワロ』を放送していた。2/7 (火)の「複数の時計」で、生活に謎がある派遣秘書シーラ・ウェブ(ジェイム・ウィンストーン=Jaime Winstone)が煙草を吸う場面があった。なかなか魅惑的だった。個人的偏見で、紫煙をくゆらせる女性には頽廃的なものが感じられ、もし美女であれば、さらなる官能性を生むだろうか。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yyyy/index.html「イラスト工房ユニ」) 
 谷崎潤一郎の『細雪』では、四姉妹の末娘で、二十五六歳でも「十七八の少女に間違へられたりした」(上巻)妙子は、「隠れて煙草を吸ふ」習慣があり、1938年(昭和13年)7月のいわゆる「六甲の山津波」以降、次女「幸子の前でおほびらになって」いて、「帯の間から白鼈甲の煙草入を出して、昨今では貴重な舶来の金口を一本取って、ライタアを點じた。そして、彼女の特長である肉の厚い唇をまん圓く開けて、輪を順々に吹き送りながら暫く思案してゐた」(中卷)とある。(引用は、中央公論社版『谷崎潤一郎全集』第15巻より)

 映画のシーンとなれば、ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ監督の『悦楽の闇』で、ラウラ・アントネッリ(Laura Antonelli)演じる若く美しい女性マノエラが、貴族ダニエーレ・ディ・バニャスコ(テレンス・スタンプ)との情事の床(?)で煙草の煙を吐き出すところが感動的であった。
⦅写真(解像度20%)は、東京文京区湯島天満宮の白梅。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆