街へ出て、書を捨てず

 
 昨日12/12は、東京神田の街をぶらついた。JRお茶の水駅から「丸善」横を緩やかに下る坂道は、黄葉の銀杏並木が続き、逆光の陽射しが眩しかった。
 坂道が終ったところの引っ込んだ右側に「世界観ギャラリー」があった。鉄を使った作品(Metal Works)を展示した、「森山友理子展」開催中、これの鑑賞がこの日の目的。森山友理子さんは、かつて都立上野高校で理科生物を担当していたNさんのお嬢さん。可愛い「鉄の女」。昔いまは亡きNさんと同僚だった頃、銀座の画廊で作品を見たことがあった。「世界観ギャラリー」画廊主の間瀬勳氏も、都立上野高校の卒業である。
「鉄という素材は、作品に触れば温かくなりますし、造るときにかたちも自由に変形します。とてもいいんですよ」との、森山さんの話。トンボの大小の制作は面白かった。Nさんの専門が水生昆虫だったことを思わせますとこちらが言うと、「そうですか」と森山さん。画廊を出て靖国通りを前にして、どうも頭のあたりが寒いなと感じているところへ、「帽子を忘れましたよ」と、ヒールの靴音たてて走って持ってきていただいた、恐縮。
 神保町の本屋街を歩き、ひさしぶりに「信山社岩波ブックセンター」に入った。恥ずかしながら最近はじめてその短篇小説の幾篇かを読んだばかりの、里見トンの『道元禅師の話』文庫本1冊を購入。帰路昼食に入った水道橋の回転寿司「三崎港」のトロサーモンは、美味しかった。
 夜繙けば、災害について触れ、『「己を揣(はか)ることを知らない無智」即ち「自惚」ほど可怕(こわ)いものはなく、慎重の上にも慎重を期すべきだ』とし、さらに述べているところが愉快である。
……いつなんどき気象に遽変が起るかわからない山や海には、とても可怕(こわ)くて寄りつけない。敢(あえ)て土地の高低を問わない地震を思えば、平地だって可怕(こわ)い。持兇器強盗の横行する夜が可怕(こわ)くておちおち眠れない。空気伝染の黴菌(ばいきん)可怕(こわ)さにうっかり日中(ひなか)も出歩けない。脱線、衝突の頻発する汽車は可怕(こわ)い。火を吹く電車、酔漢(よっぱらい)や居眠り運転手の自動車も可怕(こわ)い。年齢(とし)に似合わぬ阿婆擦(あばずれ)だらけと聞くアプレ女は可怕(こわ)い。なんでもないことですぐ殺したがるアプレ男は可怕(こわ)い。やれ何が可怕い彼(か)が可怕いと、芯から底から怖気(おじけ)づいてしまったひには、いっそ手も足も出さぬ栄螺(さざえ)にでも生れ更(かわ)るよりほか仕様があるまい。……(同文庫pp.7〜8)

木魂/毛小棒大―里見〓短篇選集 (中公文庫)

木魂/毛小棒大―里見〓短篇選集 (中公文庫)

道元禅師の話 (岩波文庫)

道元禅師の話 (岩波文庫)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のサザンカ山茶花)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆