場外も演劇的な『イリアス』観劇

 

 昨日9/15(水)は、東京ル・テアトル銀座で、マチネー公演『イリアス』を観劇した.昔は銀座セゾン劇場の名称で、その開場1周年記念公演が、ピーター・ブルック演出の『マハーバーラタ』だった。それから22年、奇しくも同劇場のほぼ同じ席にて、今回はギリシアホメロス叙事詩を舞台化した演劇を鑑賞することとなった.演出は、栗山民也、次のようにその意図を述べている.
 3000年前の「言葉」は、現代の肉体を通して再び血と体温を取り戻しつつある.俳優たち一人一人の「声」と、彼らが身の内に抱える「世界」が、『イリアス』の「言葉」を媒介にぶつかり合う.人間が人間である以上、決して逃れることのできない「運命」との闘いと、そこからあふれ出る怒り、哀しみ、憎しみ、愛情などを舞台に映し出さねばならない./この力強く、美しくも醜い光景と、激しくぶつかり合う劇場体験になることを願って.
 脚本の木内宏昌も、『「イリアス」の中にはすでに“現代”がいっぱいあるんですよ』(『シアターガイド』2010/10号)と語っていて、題材とテーマ(人間にとっての怒り・戦争・運命)の現代性を強調している.そこで、神々のシーンを大きくカットし、登場人物を、アキレウス内野聖陽)、ヘクトル池内博之)、オデュッセウス高橋和也)、アンドロマケ(馬渕英俚可)、カサンドラ新妻聖子)、パトロクロス(チョウソンハ)、アガメムノン木場勝己)、プリアモス平幹二朗)の8人に絞って構成されている.5人の女のコロスと、音楽演奏、金子飛鳥(ヴァイオリン・ヴォーカル・キーボード)、鶴木正基(キーボード)、ヤヒロトモヒロ(パーカッション)。音楽はとくに金子飛鳥が中心で、作曲を担当し、劇中その奏でるヴァイオリンの音は、宇宙の震えのように魂を揺さぶる.感動した.予言者カサンドラ新妻聖子は、琵琶法師のような語り部としての役割も演じ、その美しい歌声に魅了された.アキレウス内野聖陽(まさあき)は、劇場の外にも〈苦悩〉を抱えての舞台であったらしいが、昨日はまだテレビの話題にはなっておらず、安心して観ていられた.噂の主婦は、まさか戦いの〈戦利品〉ではあるまい.
 女のコロスといえば、アテネ国立劇場公演のエウリピデスの劇を思い浮かべる.男女のコロスを登場させた、鈴木忠志演出で、白石加代子カサンドラを演じた、エウリピデス作『トロイアの女たち』(早稲田小劇場公演)の衝撃的な舞台も思い起す.(イリオス=トロイアで、イリアストロイアの詩の意味.)今回の女たちのコロス、ときには戦士たち、ときには神々の役を演じて違和感を感じさせない、巧みで重厚な舞台をつくるのに成功していた.
 平幹二朗プリアモスが、敵陣中に一人乗り込み、アキレウス内野聖陽に、息子ヘクトルの亡骸を返してくれるよう切々と嘆願する場面は、不覚にも涙が出そうなほど情念を揺さぶられた.
 なお原作の『イリアス』については、かつて退屈で読書は投げ出しているが、西洋古典学の泰斗川島重成氏の岩波市民講座「『イリアス』を読む」を聴講したことがある.そのとき学んだことは、この舞台とは直接交叉していない.『ギリシア悲劇の人間理解』(新地書房)、『アポロンの光と闇のもとに』(三陸書房)ほか、川島重成氏の著書を通してギリシア悲劇の世界を学んでいることが、神話題材のこの舞台への親近感を生んでいる。面白かった.