劇作家三島由紀夫の忌辰

 本日11/25は、三島由紀夫の祥月命日。あの日は、たしか鷲神社の「三の酉」の日であった。
「文学は決して学問ではない。あえていえば酩酊をもたらすものである。健康にいいものとは思えない、だが止められぬ」と名言を吐いた、エッセイスト天野哲夫が亡くなったのも同じ祥月の30日で、その著『勝手口から覗いた文壇人』(第三書館)で、三島由紀夫の死について、吉本隆明さんの生と対比して書いていた。
……一方に生あれば、一方に死あり、この明暗揆を一にする皮肉は、政治的占領政策として企図された十二月二十三日(現天皇誕生日=七戦犯処刑の日)の場合は別に措くとして、この運命的な明暗の象徴として僕が連想するのは、十一月二十五日という日付けのことである。
 十一月二十五日は吉本隆明の誕生日(一九二四年)である。そして同じ十一月二十五日は三島由紀夫の自決の日(一九七〇年)でもある。これは、先の十二月二十三日という政治上の企図が生んだ作為のものではなく、まったく偶然に生と死を同日において分つことにおいて、象徴的である。吉本と三島、この相反する異質のご両所が、同日を以て誕生と忌日を同じゅうする偶然が、単に偶然とだけでは済まされぬ暗喩を感じるものである。…… 
 天野哲夫は、「悔いと恥の刻印を刻まれて」死の側にあった三島由紀夫と、あくまで健康で「白寿の人」である吉本隆明という対比をしている。「だからして僕には、死と生を対極におき、三島と吉本がいかに対照的であるか、その確たる証としての十一月二十五日という日付けの意味が重いのである」と記している。
 この対比の当否についてはともかく、「下と見て いばり上にはもみ手する 国民性とは悲しからずや」との曾宮一念の「狂歌もどき」を引用している、天野哲夫の反〈権力・権威〉の姿勢は、痛快で共感できるところがある。
 三島由紀夫という作家に関しては、短篇の「橋づくし」以外小説の印象は刻まれていないが、その戯曲作品は面白い。舞台では、かつての「東京グローブ座」で上演されたイングマール・ベルイマン演出、「SPAC」公演の鈴木忠志演出ほか、『サド侯爵夫人』は、初演以来わりあい熱心に観劇している。来春野村萬歳演出の公演があるとのこと、愉しみである。
 http://setagaya-pt.jp/theater_info/2012/03/post_268.html(「世田谷パブリックシアター」公演)
 旧HPの観劇記を再録し、この劇作家を偲びたい。

◆6/5(木)は、初台の新国立劇場・小劇場にて三島由紀夫作・鐘下辰男演出の『サド侯爵夫人』を観劇した。CASTは、侯爵夫人ルネを高橋礼恵(のりえ)、その妹アンヌを片岡京子、二人の母親モントルイユ夫人を倉野章子、シミアーヌ男爵夫人を新井純、サン・フォン伯爵夫人を平淑恵、モントルイユ夫人の家政婦シャルロットを中川安奈という布陣で、見事な台詞のアンサンブルを形成した。この芝居は初演以来何回か観ているが、いつも新しい感動を得ている。演劇評論家諸氏のアンケート回答で戦後最高の戯曲作品との評価をもらっているのは、個人的にも同感である。それを、いまを時めく演出家が演出したのだから、面白くないはずがないというものである。期待に違わぬ舞台であった。千葉県船橋までの深夜の長い帰路をいっこうに気になることなく急ぐことができた。
 三島の造型した人物、サン・フォン伯爵夫人の肉体としての存在感と、その人生は激し過ぎる。革命前の宮廷ではみずから全裸となって黒ミサの台になったかと思えば、60歳すぎてマルセイユで夜な夜な街娼となって身体を売っていたとき革命が勃発し、民衆とともに行進するうちに官憲に殺害され、権力の犠牲者として戸板に老醜をさらして載せられ街中を運ばれる。作家の平野啓一郎氏は「あれによって、フランス革命のある一面が象徴されている」(公演プログラム)と語っている。フランス革命という時代背景が、日本の敗戦の現実とダブらせてイメージ世界が成立している。三島はこの後、失われた天皇制国家の文化秩序への思慕を高めていったのだ。
 さらに平野氏は小説家として面白いことを述べている。小説中の登場人物は人物の連続性を確保するためにある程度の類型化が必要となってくるが、
 そういう意味では、舞台の場合は、実際に肉体をもった人間が言葉をしゃべるので、必ずしも厳密な類型化を求められないし、一人ひとりに類型的な役割を演じさせるにせよ、言葉にされていない個々の登場人物の側面は、肉体が隠し持っていると暗に示すことができる。三島も、戯曲の場合はそういう安心があったのではと想像するのですが。(公演プログラムより)
 天国へあるいは絶対的なるものへ裏から梯子をかけるサド侯爵の共犯者であった、貞淑な妻ルネが革命により牢獄から解放された夫の訪問を拒絶し、修道院に入る途を選ぶ最後の結末は、確かに衝撃的で、他のすべての登場人物も現わすこのような変化を支えるのは特別な肉体ではないと不可能であると、平野氏の対談者鐘下氏は語っている。少女の顔をもった高橋礼恵(のりえ)は十分に演じきっていたといってよいだろう。中川安奈の家政婦シャルロットは、ギリシア悲劇のコロスのようでもあり、ナポリ喜劇の仮面の召使いのようでもあり、その美貌がさらに無気味であった。なお当日の座席は、1FのB2列の15番。(2003年6/7記)

◆11/7(月)三島由紀夫作、岸田良二演出『サド侯爵夫人』を観劇。このところ演劇の場を提供している東京上野国立博物館特別室。この作品の公演はだいたい観ている。今回は、ルネの母親モントルユ夫人が剣幸、サド侯爵夫人ルネが新妻聖子(パンフレットの写真)、サン・フォン伯爵夫人が椿真由美、ルネの妹アンヌが佐古真弓、シミアーヌ男爵夫人が福井裕子、家政婦シャルロットが米山奈穂というキャスティング。ルネ役の新妻聖子さんの声は美しく、最後の盛り上がりの長い台詞も音楽のように澱みなく聞えた。台詞劇のこの芝居にふさわしい女優さんであった。アンヌ役の佐古真弓さんは、後ろ向きで語るときよく台詞が聞きとれなかった。作者の三島由紀夫は、「セリフだけが舞台を支配し」「目のたのしみは、美しいロココ風の衣装が引受けてくれるであろう」と述べているが、今回は、登場の女性のヘアメイクがとても凝っていた。ヘア&メイクキャスティング担当は、堀裕美子。まさに目に楽しかった。(2005年11/9記)
◆5/10(水)夜に、劇団四季自由劇場にて、同劇団公演、三島由紀夫作・浅利慶太演出の『鹿鳴館』を観劇した。明治19年11月3日天長節の午前より夜半までの間に起こった事件を、前2幕は影山伯爵の邸内潺湲亭(せんかんてい)、後2幕は鹿鳴館大舞踏場を舞台にして描いた、「筋立ては全くのメロドラマ、セリフは全くの知的様式化、という点に狙いがある」(三島由紀夫)演劇である。4幕の前半と後半とで場所が移動しているので、完全な「三一致」の舞台にはなっていないが、明らかに西洋古典悲劇の様式に則っている。迂闊にもこの作品に接するのは今回が初めてであるが、セリフ劇としての緊張感は最後まで保たれていたといえた。
 影山伯爵夫人朝子(野村玲子)と、芸妓時代の恋人清原永之輔(広瀬明雄)とが20年ぶりに再会し、互いの誠実を賭けた約束をする。二人の間にできた息子久雄による父清原暗殺を未然に防ぐため、これまで公の場に出なかった朝子が鹿鳴館の舞踏会に出ること、いっぽうの清原は、壮士らを乱入させて鹿鳴館に集い「猿の踊り」をしている政府高官と貴婦人連に冷や水を浴びせ、「外国人に肝っ玉の据った日本人もゐるぞといふところを見せて」やる計画を中止することを互いに誓うのである。朝子には、久雄の養育をかつて清原に任せてしまった、清原には、異母兄弟たちより冷たい育て方をしたことについてそれぞれ負い目があった。久雄には、侯爵の娘顕子という恋人がいて、公爵夫人から二人の逃避行を手助けしてくれと、朝子は頼まれていた。このあたりまったくメロドラマの筋立てだ。
 浅利演出は、美しい舞台装置のなかで登場人物の動きを大仰にはさせない。あくまでも「磨き上げられたセリフが宝石の礫のように飛び交ってきらめく」(野口武彦氏)舞台が目ざされている。影山伯爵(日下武史)の謀で誤って久雄を殺してしまい、呆然と鹿鳴館を立ち去る清原を追った暗殺者飛田(血の匂いが大好きな男)のピストルの音が聞こえ、
朝子:おや、ピストルの音が。
影山:耳のせゐだよ。それとも花火だ。さうだ。打ち上げそこねたお祝ひの花火だ。
という第4幕最後のセリフまで、まさに名曲の演奏のように、連なるみごとなセリフに酔わされた。
 原作のことばにあたってこの夜の陶酔をもう一度味わってみた。とくに印象に残ったセリフは次のところか。(席は、1階3列、中央1・2列席は外してあったので、今回最前列。セリフ劇にはふさわしい場所であった。)

顕子:でもお母様、悲しい気持の人だけが、きれいな景色を眺める資格があるのではなくて? 幸福な人には景色なんか要らないんです。(第1幕)
清原:……少し大言壮語をしますよ。私には激しい夏や厳しい冬だけがふさわしいので、こんなうららかな小春日和は私には毒でしかない。だからこんな日にも私は、身を灼く夏や凍てついた冬を、自分の身内に用意しておく必要がある。自由とはさういふものだ。そしてこの小春日和にだまされて居眠りをしてゐる人たちの目をさましてやるのだ。(第2幕)
清原:私の中にはこの歳になっても、一人のどうにもならない子供が住んでゐるのです。
朝子:その子供を大切になさらなければいけませんわ。女が愛するものも、民衆が愛するものも、猛々しい立派な殿方の中のその汚れのない子供なんですわ。(第2幕)
影山:あなたは私を少しも理解していない。
朝子:理解してをります。申しませうか。あなたにとっては今夜名もない一人の若者が死んで行っただけのことなんです。何事でもありません。革命や戦争に比べたらほんの些細なことにすぎません。あしたになれば忘れておしまひになるでせう。
影山:今あなたの心が喋ってゐる。怒りと嘆きの満ち汐のなかで、あなたの心が喋ってゐる。あなたは心といふものが、自分一人にしか備わってゐないと思ってゐる。
朝子:結婚以来今はじめて、あなたは正直な私をごらんになっていらっしゃるのね。
影山:この結婚はあなたにとっては政治だったと言ふわけだね。(第4幕)
影山:ごらん。好い歳をした連中が、腹の中では莫迦莫迦しさを噛みしめながら、だんだん踊ってこちらへやって来る。鹿鳴館。かういふ欺瞞が日本人をだんだん賢くして行くんだからな。(第4幕)
夜想♯耽美」(ステュディオ・パラボリカ)の特集「三島由紀夫、死の美学」において、三島と親交のあった高橋睦郎(むつお)氏によれば、「なぜ彼が死を選ばなければならなかったかといえば、僕が思うに、生きているという実感が、どうしようもなく希薄だったからではないでしょうか。存在感の希薄さを抱えていたということです」ということである。とすれば、この作品がいよいよ魅力を放つことになるであろう。(2006年5/12記)

勝手口から覗いた文壇人

勝手口から覗いた文壇人

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の(八重)サザンカ山茶花)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆