猪瀬直樹&磯田道史共著(対談)『明治維新で変わらなかった日本の核心』(PHP新書)を読む


 猪瀬直樹磯田道史共著(対談)『明治維新で変わらなかった日本の核心』(PHP新書)は、勉強家の猪瀬直樹氏が日本史家磯田道史氏の面白い解説を引き出していて、学ぶところが大いにあった。とくに、江戸の社会は「ジャンケン国家」であること、江戸時代の身分・階層をめぐる事実のところが、新鮮な指摘である。

磯田社会学では「地位の非一貫性」といいますが、私は江戸時代を「ジャンケン国家」だと思っているのです。「力」「権威」「財力」の三つを全部持つ者はいない構造です。
 武士は武力、つまり力を持っていますが権威は公家より下です。財力もない人が多い。
 天皇や公家は、権威はとても高いものを持っていますが、金もなければ力もない。 
 豪商は力も権威もありませんが、財力を持っている。農民も、力も権威も低いですが、庄屋ぐらいになればある程度、財力がある人もいますし、村社会での権威はある。
 そんなジャンケン国家で、すべてを総取りする人がいないことで安定性を保っているのです。「全部を持たせない」という構図は、戦後の日本の企業にも通じるところがあります。オーナーがいて、雇われ社長がいてといった、所有と権利が分離しているところが多い。大企業の大半はそうです。(p.187)

磯田:生活状態がいい人ほど早く結婚して、たくさん子供をつくって、子孫を残している。もし本当に身分社会なら、武士がいちばん早く結婚して子供も産んで、町人になるほど遅い結婚になるはずです。下の階級の人は、結婚生活も悲惨で、子供もたくさんつくれない。ところが実際は、自分の属する身分のなかで上位にいるか、いないかで決まる。
 だから当時の人たちの人生や暮らしぶりは、武士に生まれるか、町人に生まれるか、農民に生まれるかで決まるのではない、ともいえます。武士なら武士のどの階層に生まれるか、町人なら町人のどの階層、農民なら農民のどの階層に生まれるかで決まるのです。
 つまり日本の場合、階級闘争というのは、身分間には存在しない。闘争のタネは、同一身分のなかにこそあるのです。いわば、武士、町人、農民は横に並んでいる存在で、そのなかに格式の序列があって、みんなが競争をしている。
猪瀬:ヨーロッパの階級社会と違い、それぞれの身分のなかに階級がつくられている。(pp.279~280 )