路地裏の『血の婚礼』

 夏になると、耳の鼓膜が不調になる。これはかつて通った耳鼻科医師によると、子供のころ中耳炎の治療で穴をあけた鼓膜が、アレルギー性の咽喉炎で咳を繰り返すことなどから痛んだりするのだそうである。


 昨日7/13(水)観劇した、清水邦夫作・蜷川幸雄演出「BUNKAMURA大規模修繕劇団」公演『血の婚礼』(於東京にしすがも創造舎体育館)の舞台は、ギリシア悲劇のコロスのように、鼓笛隊(じつは打楽器隊)が、爆音のドラムを鳴らして登場・行進するので、そのたびに右耳を手で塞ぐ仕儀となった。舞台全面にほとんど止むことなく降り注ぐ雨は、今回は3列目(C列)の席で気にならなかったが、この音には参った。


 清水邦夫のこの原作は未読であるが、本歌取りしている、ガルシア・ロルカの『血の婚礼(Bodas de Sangre)』は、スペインの「アントニオ・ガデス(Antonio Gades)舞踊団」の来日公演(1987年・新宿文化ホール)で知っている。婚礼の場から花嫁を略奪して馬で逃げるレオナルドに、花婿とその一行が追いつき、二人はついにそれぞれの刃で死んでしまう、という物語だ。情念の過剰が、冷酷と静謐を伴って悲劇を招くのだ。
 蜷川幸雄演出のこの舞台は、大都市の猥雑なネオンが煌めくどこかの路地裏。コインランドリーとレンタルビデオ屋が、路地を挟んで店を開いている。何年か前に婚礼の場から花嫁=北の女(中島朋子)を略奪した男=北の男(漥塚洋介)は、すでに北の女と別れて暮らしている。たまたま再会したところに、かつての花婿=ハルキ(丸山智己)とその一行が出現し、各人の自己確認の物語が展開。最後は、大停電のなか、太古の闇にも通じる、二人の少年時代の思い出の暗がりの場所で、ナイフとアイスピックを互いに刺しあって倒れる。ここでは、情念の不在が悲劇を招くのだ。レオナルドが花嫁を抱えて逃げるとき乗った馬は、ここでは、メリーゴーランドの〈馬〉なのだ。どれもこれもがいかがわしく倦怠を招き、かなしみさえ茶番となりかねない。路地が育み増幅させた血と闇は、ついに大停電のなかで漆黒の華を開かせたのだ。これまでの公演はいざ知らず、今回の原発事故が背景に想定されていることは察しがつく。闇のなかおちこちで燃え盛る炎は、むろん「菅ー朝日」連合の「自然エネルギー」ではなく、鎮魂の炎であり、原初の情念の象徴であろう。ただ、時おり台詞のことばがわからず(たとえば、「古釘」など)、劇全体の印象としてはあまり面白くはなかった。
 2006年に観た『オレステス』のHPの観劇記を、参考のため再録しておきたい。

◆9/29(金)に、東京渋谷シアター・コクーンにて、蜷川幸雄演出『オレステス』(エウリピデス原作)を観劇した。蜷川演出のギリシア悲劇作品では、かつてギリシア人女優出演の、築地本願寺境内で上演された『オイディプス』、さらに野村萬斎主演の『オイディプス王』、昨年大竹しのぶが圧倒的存在感を示した『メディア』につづき4作目の鑑賞になる。
オレステス』は、昨年夏、〈アトレウス家の崩壊と再生〉3部作の第3話公演、笠松泰洋作曲・台本構成・指揮の音楽・舞踊劇(於銀座王子ホール)を鑑賞したばかり。オレステスの苦悩と呪詛を表現した森山開次のダンスに情念を揺さぶられた記憶も残っているところ。
 オレステス藤原竜也は期待通りの舞台で、懐疑と呪詛と憤激の情念の揺れを見事に表現しきった。エレクトラ中嶋朋子もよかったが、長回しの台詞が時々聞き取れなかった。もっとも、2F最後列の一列手前の席であったためかもしれない。(軽い高所恐怖症のこちらとしては、坐っているだけでも緊張気味だったのだ。)
 ギリシアでは季節的に降るという雨を、舞台において効果的に降らせる演出が際立っていた。明らかに、人間の心のなかのくらい情念と、容赦ない神々の応報を暗示していた。蜷川幸雄演出は、これまで舞台の〈水〉に重層的な意味をもたせてきたから、さらに読み込むこともできよう。コロスの女性たちが傘をもって登場するのは、使い方こそ違えかつての鈴木忠志ギリシア悲劇にもたしかあったアイデアで、それ自体には新鮮味は感じなかった。
『タイタス・アンドロニカス』(シェイクスピア原作)演出につづいて、蜷川氏は、現代における止まない〈復讐の連鎖〉に当然のように絶望しているようで、終幕、2Fのあちこちからアメリカとイスラエル(ほかにもあったのかはわからない)の国歌・国旗を印刷したビラが投げ込まれ、花びらのように会場に散っていった。「機械じかけの神=デウス・エクス・マキーナ」による救いに、現代の祈りを表現した笠松泰洋演出との違いである。(2006年10/2記)  
    http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110708/1310133919笠松泰洋演出)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の多年草ロベリア(Lobelia cardinalis:紅花沢桔梗)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆