「知的好奇心」としての哲学

◆内山勝利京都大学教授の『哲学の初源へ・ギリシア思想論集』(世界思想社)は、改めてギリシアの精神史・思想史について学ぶこと多かった本である。 古代ギリシア文化発祥の地イオニアのサモス島は、ピュタゴラスの故郷であり、対岸のミレトスと並ぶ繁栄を誇っていたという。ペルシャ人によって最後は虐殺された独裁者ポリュクラテスの支配下で、町を包む「カストロ」と呼ばれる山を貫いて巨大な(今日の実測によれば全長1045メートルの)トンネルが造られた。町に山の向こうの水源から水を供給するためのトンネルと考えられるが、トンネル内の路は同じ高さで掘られ、トンネルの入口も水源から離れ水道管のみ勾配が造られていて、はなはだ非効率な工事が行われたようだ。命じたポリュクラテスも、工事を担当した建築技術者のエウパリノスも、トンネル工事をつき動かしたのは、「時代精神」としての「知恵で名を挙げよう」という「知的功名心」だったのだ。内山教授は、ここにギリシア的な知性の象徴があるのだと説いている。
『とりわけ「哲学」というギリシアパラダイムの成立は、サモスのトンネルにみなぎっているような知的風土に負うものが大きいのではないか。もともと「フィロソフィア」(よりギリシア語風には「ピロソピアー」)という言葉には、「知的好奇心」を直訳して充ててもけっして見当外れではないようなニュアンスが込められている。むしろ、この新たに見いだされた心的活動に対して新たに造語されたのが「ピロソピアー」という言葉であったと言ってよい。その語感は、文字どおりの「学」としての哲学を大成したプラトンアリストテレスにおいても、鮮やかに息づいている。』
 ふつう「哲学の創始者」として位置づけられるタレスが活動したのは、そのサモスの対岸のミレトスであったのだ。「タレスほどに好奇心の旺盛な人物はまれであったと思われる」ことからも、哲学発生の背景には、実用的な知性とは異なる、「知的好奇心」が思潮として誕生していたのであり、
『哲学がたえず古代の歴史に立ち返ることを必要とするのは、けっして単にその時代の思想的成果をいまなお有効な学説として反芻しなおすためであるにとどまらない。むしろ、より本来的な意義は、ピロソピアーという言葉の原義のうちに身をおいて、そこに脈動している思考のダイナミズムに触れること、そしてわれわれ自身のうちに精神の生動性としてのピロソピアーの力を賦活せしめることにこそ、求められなければならないのである。』

哲学の初源へ―ギリシア思想論集

哲学の初源へ―ギリシア思想論集

⦅写真(解像度20%)は、東京都台東区下町民家のアカンサス(Acanthus)その2。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆
(「ウィリアム・モリスアカンサスhttp://d.hatena.ne.jp/simmel20/20100611/1276228714