ネーションにおける不平等性

 勝利の歓びをもって、あるいは敵対心・憎悪を伴いつつ、ネーションという共同性のもたらす、いっときの情念の昂揚を体験するこのごろ。大澤真幸著『ナショナリズムの由来』(講談社)を読み進めると、次の考察あり、立ち止まって考えさせられた.

ナショナリズムという規定において普遍主義と特殊主義が交錯する以上は、ネーションは内部に必然的に不平等を孕まざるをえない.アンダーソンは、国民の間に「たとえ現実には不平等と搾取がある」場合でも、それは平等な共同体として想像されるのだ、と説明している.しかし、この留保は、もっと強い言い方に変えなくてはならない.すなわち、ネーションは、必ず不平等を有するが、平等な共同体として想定される、と。なぜならば、まさに平等性の仮定こそが、かえって不平等を帰結するからである.ネーションの現実に不平等が存在しているということと、ネーションが想定の上で平等であるということとは、同じ事態の二側面なのである.』(同書p.93)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のコムラサキ(その2)。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆