今年の暮も東京吉祥寺シアターで、鈴木忠志の舞台が観られる。昔早稲田小劇場公演で観劇した『トロイアの女』が、21世紀にまったく新しい舞台として蘇るそうである。「古代から変わらない戦争の暴力の凄まじさと、宗教の無力、そして個人の諦観が現代の観客の胸に強く響く」と謳っている。鶴首して幕開きを待ちたいものであるが、そうかんたんに2014年が暮れても寂しいところである。
岩波ホールでの初演の舞台を改訂した『トロイアの女』公演のパンフレットで、鈴木忠志氏は書いている。エウリピデスの原作が、ドラマとしては成立していないとの批評を紹介し、
……しかしながらわたしにとっては、この作品ほど現代に通ずる普遍的な人間の姿を、一面から鋭く表現しえた作品はないと思えたのである。それは、戦争という現実が現代においても繰り返されているというにとどまらず、来るべき苦難を予感の裡に待っている人間の内面ほど多くの人々が現在でも常日頃に体験しているドラマはないからである。わたしはこの作品を下敷きにして家を焼けだされ老いさらばえた老女が、幻想としてのトロイア伝説を生きる舞台としてつくってみた。わたしの心づもりでは、このギリシア劇を現代能として転生させた気でいるが、今までのべてきた俳優の演技の問題、集団性の問題を検証しようとする試みでもある。この舞台が現代演劇の不振に対するいささかの問題提起となればとねがっている。……(p.4)
『岩波講座能・狂言Ⅲ能の作者と作品』中、羽田昶氏の「能技法前提の現代演劇」に、岩波ホール初演でメネラオスを観世寿夫が扮したことを紹介し、ポーランドの演出家グロトフスキが能の(※観世寿夫の)表現方法は「ブレーキの暴力」だとの感想をもったとし、「舞台上の演技はすべからくそのブレーキの暴力によってしか、みるものをうつことはありえないのだが、こういうことをからだの内部感覚として自覚している役者も、現今なかなか少ないのである」と鈴木忠志氏の文章を引用している。羽田昶氏は、「鈴木が、能を、というより観世寿夫を、パートナーに選択した理由がよくわかる文章である」としている。「ジャンルの分裂を、古典の方からどのように越境するかということを、具体的に身体でしめした」舞台としては、『トロイアの女』より、『バッコスの信女』(後に『酒神「ディオニュソス」』)のほうが成功していたと、鈴木忠志氏が回想していることを付記している。両公演とも観世寿夫出演の舞台を観ていない(※冥の会公演の舞台は観劇している)ので、ただ納得するほかはない。
(「蜷川幸雄演出『トロイアの女たち』東京芸術劇場プレイハウス」)
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