SCOTの『トロイアの女』&『からたち日記由来』観劇





 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20141028/1414475165(「鈴木忠志の『トロイアの女』新生再演:2014年10/28」)
 本年も師走のSCOT公演、鈴木忠志演出の舞台を吉祥寺シアターで観ることができた。いささか右脚の不自由こそあっても、わが年中行事を実行し得たことは嬉しいことである。観劇は、昨日12/23(火)〈天長節〉のマチネーである。出し物は、二つ。かつて岩波ホールで初演(1974年〜75年)され、個人的にはその改訂版である舞台を1979年11月に横浜教育文化センターで観たことがある『トロイアの女』と、今回初演の『からたち日記由来』。
トロイアの女』はエウリピデス原作のギリシア悲劇、これをこの舞台では、廃墟(例えば焼け跡の東京)を彷徨う一人の老女の幻想の劇として展開する。初演台本は大岡信潤色であったが、今回構成・演出:鈴木忠志とのみとなっている。老女の「咒」(大岡信の詩)で始まった冒頭は、今回廃車の中の男がサミュエル・ベケットの戯曲から引用された言葉を語って始まる。

鈴木忠志が歴史上の二つの敗戦国の女たちを折り重ねたのも、こじつけどころか、見事な洞察である」とし、テーマは戦争における「女たち」としたシェイクスピア学者の故高橋康成氏の解説(パンフレットに抜粋掲載)には啓蒙されるが、1979年公演パンフレット掲載の、清水徹氏の一文「多面構成の乱反射効果」も面白い。 
……古靴をとりだして「おおプリアモス…」と語りかける。このなんとも滑稽で奇怪な衝突。ドラマの展開とともに終結をめざして劇的な時間がひと筋の線をなして流れてゆくという近代劇風な時間性はここにはない。語られているトロイアの悲劇という時間と、それとともに喚起される空間、老人の生きる敗戦直後の時間と空間、そしていまこのときの時間、そうした異質のもの同士が交錯し、スパークを発し、しかし溶けあわない。そのため、まるで時間が空間化されたような、ふしぎな時間=空間が舞台にみなぎる。読み直し作業は、持続としての時間性への、あるいは物語性への拒絶という姿勢を見せているのである。……
 歌舞伎を思わせる3人のギリシア軍兵士の様式的な進軍動作、およびトロイア人らのそれぞれの小動物の動きのような登場は、この劇的空間の成立をつくり出し興奮させる。
 廃墟を歩む花売りの少女(犯されるアンドロマケを演じた同じ女優)が後ろ姿を見せる。露になった太股に、したたかに生き続けそうな女の生命力を感じてしまう。宗教の無力の象徴としてだろう、ほとんど静止したまま神像が中央に立っているが、捉え方としてとくに驚くところではない。宗教については、そう単純には扱えないだろう。
 二つの舞台の合間に、演出家のトーク(雑談)が設定されていた。『トロイアの女』も欧陽菲菲の「恋の十字路」で幕開きとなるが、自身の流行歌好きを告白していて興味深かった。「バーブ佐竹の『女心の唄』などは、アベノミクスそのものですな」とのお喋りには笑ってしまった。
 https://www.youtube.com/watch?v=_ZXLkmbJA4A
 https://www.youtube.com/watch?v=7Nq100_qTOE
 さて『からたち日記由来』は、かつてチンドン屋稼業を営んでいた一家が登場。狂女となった母親がかつて語っていた講談「からたち日記」の由来話にその息子と伯父が唱和・伴奏しながら、この日記を書いたとされる枢密院副議長芳川顕正伯爵の娘鎌子の、既婚でありながらお抱え人力車夫との許されざる恋による心中とその顛末を、一場の劇としたものである。史実は、生き残った伯爵令嬢芳川鎌子は再婚し病死しているそうであるが、講談の伝承のなかでは、芳川家の籍を抜かれ出家し、信州の山奥の寺でひっそりと死んでいくことになる。郷土史家がその寺で一冊の「からたち日記」のノートを発見して、この歌が世に出たのだという由来の物語なのである。鈴木忠志は、「戦争によってすべての家族を失った老婆と、世間の目から隠れて恋心に生きた女性に思いを託す老女の不幸の質は異なっている」としても、「この二つの対極にあるように見える人生の末路は、現在の我々にとっても、無縁なことではないと思っている」と述べている。『トロイアの女』に対して『からたち日記由来』はいわば反歌のような舞台構成であるが、戦争であろうが平和であろうが、没落と喪失の悲哀は人生につきまとうものであり、その鎮魂の舞台だったといえるだろう。幕切れには、むろん島倉千代子の「からたち日記」が流れたのである。