立川志らく25周年記念

 

 
文藝誌『雲』6月号(送料込500円)に短篇掲載.龍書房(Mail:BCF14939@nifty.com)発行.

 ひさしぶりに東京池袋に出て、近くに寺と公園があるシアターグリーンにて、「立川志らく25周年記念」の興行を鑑賞した.第1部・古典落語「疝気の虫」、第2部・志らく座長の「下町ダニーローズ」公演「演劇落語『疝気の虫』(後日談)」の二部構成.志らく師匠の「疝気の虫」は、虫たちの大好物の蕎麦を食べる、奥方の体に入ってしまい、〈有毒物質〉の唐辛子の侵入で逃げ場の別荘=玉袋がなく、疝気の虫たちが死滅してしまう噺.「パチ、パチ」との消滅の音で終わるところが痛快であった.第2部の芝居は、急遽医師の体に逃げ込んだ疝気の虫一家が、その医師とともにアフリカの大地にわたり、そこで抱腹絶倒の〈悲劇〉が起こるという、ナンセンス劇でありながらじつは人情劇であった.ところどころで、柳亭市馬師匠の昭和歌謡が挿入され、ミッキー・カーチス御大のハーモニカ演奏もあったりで、楽しい.医師役の「モラリスト」の畑雅文は、女性かと思ったら男なのだ.疝気の虫(および観客)にとっては、虚実皮膜の間で「体に入るべきか入らざるべきか」混乱させられてしまう、そこがまた面白い.計算されたキャスティングであろう.
「あと10年で、お前は狂うぞ」とか、談志師匠に〈宣告〉されたそうな志らく師匠の、「野暮なこともやり通せば粋になる」との玉砕覚悟のこの出し物、梅雨の鬱陶しさを払ってくれたといえる。ただやたら蕎麦を食う所作を演じていたのは、いくら蕎麦好きの疝気の虫たちが主人公とはいえ、師匠のサービス精神なのか。志ん生の「時そば」を考察して、師匠は、こう述べているのである。
「現代人の心を掴むにはその噺の本質を前面に出すのが最善であろう.だって蕎麦の食い方なんかに興味を示す人なんていやしない。パントマイムが一般的でなかった時代ならば、蕎麦の食い方にも人々は歓喜の声をあげたかも知れない.現代はそんな時代ではない。志ん生の言う通り、銭をかすめる事をテーマに落語の面白さ、凄さをアピールすべきである。」(『全落語家読本』新潮選書) 
 7/12(月)には、東京新宿紀伊国屋ホールで、志らく師匠の「シネマ落語・エデンの東」を聴く.正真正銘落語ファンの友人が、3時間も並んで獲得した1枚余りのチケットを入手したものだ.知る人ぞ知る映画人でもある師匠の高座、愉しみである.

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のオキザリス・レグネリー(Oxalis regnellii)。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆