立川志らくの高座と舞台(その2)

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「現代と古典に対する郷愁のはざまに立っている」とみずからを規定する、亡くなった立川談志門下の噺家立川志らくの『全身落語家読本』(新潮選書・2000年9月初版)は、師匠ゆずりで挑発的言辞が多いが、現代における伝統芸能を考えるうえで読む価値のある本である。

 江戸落語の魅力は「粋」にあるとし、その鑑賞(あるいは演じ方)の勘どころとして、第1に「リズムとメロディ」、次に登場人物の「ディフォルメ」、そして第3に「現代性と(噺家の)個性」に注目すべきであるとしている。物語としてのリアリティには、それほど拘泥しなくともよいとしている。「ある程度は必要だが、それよりも演者の作品自体への印象の方が大事だ。江戸の町を微に入り細を穿ち徹底的に描くよりも、登場人物の生き様を演者がどう受けとめるかが勝負になってくる。そうしなければ落語は現代では生き残れない」とは卓見であろう。

 第4として、噺の本質をとらえることの重要性を述べている。例えば、「時そば」ならば、志ん生は「銭を一文かすめたい男の噺」としている。志らく師匠はさらに、「かっこいい男の行動を真似たい」心理つまり「流行に飛び付く」心理が、この噺の核心であると考え演じるのが「正解」としている。これは、立川談志師匠のいう噺の「メッセージ」にあたるものだろう。

 130頁にわたって、192の江戸落語のネタを紹介し、コメントとそれぞれについて誰の高座が面白いかについて述べている。丁寧に読んでみれば、じつに参考になる。かつてテレビで題名を知らずに聴いたことのある噺も少なくなく、それらも含めて一つ一つ聴いてみたくなる。談志については、「芝浜」よりも、人情噺としては「富久」のほうがよいとし、滑稽噺としては「粗忽長屋」とともに「松曵き」もベストとしている。噺家の個性が自ずから醸し出す独特の可笑しみ=フラというものがあるようで、だからどの古典作品を演じてもトップなどという名人は存在しないことになる。(「立川志らくの落語論」2011年11/28記)



 一昨日3/16(金)は、東京銀座ブロッサム中央会館にて「立川志らく独演会」を聴いた。落語研究会の月例会への参加。参加数は、12名。香盤は前座なしで、志らくの「転失気(てんしき)」、「中山仲蔵」、「淀五郎」の3演目。「転失気(てんしき)」は、転失気とは屁のことと知らない寺の和尚が何とか知ろうとして奇想天外な失態を演じる噺。馬鹿馬鹿しいフレーズが面白いところと、志らく師匠が解説の通り、小坊主と医者のやりとりが愉快である。落ちは、小坊主に転失気=盃と騙された和尚が医者にたいせつな盃を出し、箱から投げ出されてしまい、小坊主を「おい!」と叱ると、小坊主「屁みたいなもんで」と。

「中山仲蔵」は、江戸歌舞伎の名優中山仲蔵(屋号=栄屋)の出世噺。台詞が一言だけの中通り(ちゅうどおり)から、名題(なだい)に昇進(落語の真打ち昇進にあたるといえる)した、仲蔵(なかぞう)が、立作者のいじわるで、『假名手本忠臣蔵』五段目「山崎街道」の場の山賊斧定九郎一役だけを割り振られた。本来は名題ではなく格下の相中(あいちゅう)が務める役だった。仲蔵は演技と扮装について悩み抜いた末、たまたま銭湯で出会った浪人者の身なりに着想を得、革命的な定九郎を舞台に現出させた。これが江戸中の評判となり、仲蔵の斧定九郎がその後の定型となったとの実録談である。仲蔵が、戦後落語界に登場した立川談志師匠であろうか。弟子志らくの談志へのオマージュ(hommage)が伝わってくる高座で、感動的であった。むろん随所で笑わせてくれる。仲蔵を庇護した四代目市川團十郎成田屋)は誰に擬されているのだろうか。落語界の人間関係に疎いので、わからない。

 仲入り後、「淀五郎」。『假名手本忠臣蔵』四段目「切腹」の場で、塩冶判官(えんやはんがん)役の役者が急病のため、目黒団蔵と呼ばれた四代目市川団蔵の推薦で、淀五郎が大抜擢されて名題に昇進、この役をもらった。しかし当日の舞台において、淀五郎が短刀を突き立てしきりと「由良之助、待ちかねた、近う近う」と呼んでも、団蔵の由良之助は花道に坐ったまま、「委細承知つかまつってござる」と動こうとしない。淀五郎のあまりの下手さ加減にあきれて進まなかったのだ。みずからの演技に苦悩した淀五郎は、栄屋仲蔵 に相談、仲蔵に稽古を付けてもらい舞台で演じると、花道から団蔵の由良之助が判官のところへ歩み寄っていた。花道にまた坐ったままと思っていた団蔵が近寄っていたのだ。淀五郎「待ちかねた~ッ」の落ち。これも厳しくも美しい師弟のエピソード。淀五郎は、志らく師匠ご本人であろう。意地悪団蔵、皮肉団蔵とも呼ばれていた市川団蔵は、ある面での立川談志師匠を髣髴とさせる。多分これは個人的な思い込みで、志らく師匠はもっと広い人脈で噺を再構成しているのかもしれない。

「今回の落語は、師弟、演者と客をテーマに描く内容になると思います」と、志らく師匠もプログラムで書いている。

 終演後お決まりの中華料理屋「崋宴」で飲み会。終電前の電車に飛び乗って無事帰宅。充実した夜であった。(「理想の師弟—立川志らく独演会を聴く」2012年3/18記)