だいじょうぶかサッカー日本

 WCサッカー前哨戦としての対韓国戰(於埼玉スタジアム)で、0-2で負けてしまった.相手が主力を欠いた前回に続いて2度目の敗北.素人のテレビ観戦でも、両国チームの実力差が明らかであった.本大会でまさかの勝利という可能性もなくはないが、直前での日本代表チームのtacticsの混乱ないしは不在には呆然とする.
J SPORTS」5/26のコラムで、元川悦子というサッカージャーナリストが、韓国の勝利には勝っただけの背景があるとし、1)代表チームの指導者にはヒディング以来(1回の例外のみ)オランダ人をあてて(現在フィジカルコーチがオランダ人)、指導体制の一貫性を保持していること、2)次代を担う青少年の育成に力が注がれ、少年らがサッカーを行うグランドは、多く天然芝・人工芝となって整備され、日本のように土のグランドで練習・試合をしていないこと、の二点を強調している.
     http://www.jsports.co.jp/press/column/article/N2010052601115302.html
 オランダ人といってもそれぞれtacticsが同じではあるまい、グランドが土でもブラジルでは選手が育っているだろう、との反論はただちに成り立つが、日本に長期的展望が見られないという実感は共有する. 

 加藤周一の『日本文化における時間と空間』(岩波書店)における時間意識の議論を思い起させられた.
 日本文化における時間の三つの類型は、空間の類型とともにこの書の考察の土台である。Ⅰ古代日本神話に見られる、分割して構造化することができない無限の直線としての時間。過去から意味づけられず、未来を目標にするのでもない「今」が、時間軸の現実の中心になっているということ。Ⅱ始めなく終わりなく循環する時間。季節が循環し、時間の円周は四季に分節化される。Ⅲ始めあり終りある人生の時間。この時間が、文芸や芸能にどう表現されたかを作品に即して具体的に論じている。
 空間の三つの類型は、Ⅰ宗教的空間においては、進めば進むほど空間の聖性が増す、そして世俗的空間においては、向えば私的性質が増す、「オク」(奥)の概念があること。Ⅱ建築において典型的に見られるように、水平志向が強く垂直線に乏しい。舞台芸能についても同様である。Ⅲ全体から細部へではなく、細部から全体へ向う思考の傾きを背景にした、建増し主義。東京は今でも地下鉄工事がつづいている。鴎外の『普請中』の「普請」とは、実はいつまでつづくかわからない建増しのことだったのだ。建増しの結果として「シンメトリー(左右相称性)」の建物は生まれない。
 結局のところ、部分が全体に先行する心理的傾向の、時間における表現が「現在主義」で、空間における表現が「共同体集団主義」ということになる。二つの文化が出会い、融合し、一体化して、日本の「今=ここ」文化が成立したというのが、この考察の骨子である。
「参照枠組としての過去を無視して現在にのみ係わる」行動様式について述べられた件は、とくに面白い。西南戦争が起こるや、それまで英雄として賛美されていた西郷隆盛が賊として罵倒される世論の豹変ぶりに、痛烈な批判を加えた福沢諭吉をとりあげている。
 
 そうであれば、WCで岡田ジャパンが予想外の好結果を出せば、今度は岡田監督も「名将」の誉れ高まろう.ともあれ1試合くらいは勝ってほしい。

⦅写真(解像度20%)は、東京北区旧古河庭園の薔薇、ERのMasako(英国別名:エグランティーヌ=Eglantyne)。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆