丸山眞男生誕100年


現代思想』(青土社)8月臨時増刊号で、生誕100年にあたり丸山眞男を特集している。巻頭に二つのエッセイが置かれる。長谷川宏氏の「丸山眞男、その割り切れなさ」では、「丸山眞男はわたしにとって割り切れぬ存在でありつづけているが、その割り切れなさは、戦後民主主義の割り切れなさ、知なるものの割り切れなさに通じている」としている。「丸山眞男のいう自由なる主体は知的な主体とほとんど同義であり、主体的に生きることは知的に生きることとほとんど同義だった」が、いま「自由や主体性は知の外部に広がる日常の暮らしに向かって解き放たれねばならないと思われるのだった」。吉本隆明の『丸山眞男論』を思い起こさせる感懐である。
 最首悟氏の「つぎつぎになりゆくいきほひ」では、丸山眞男に「natureとしての自然」と「自然(じねん)」との「無意識の混同」があったとの指摘について、「それは丸山眞男にかぎらず私たちの問題である」と書いているところに注目したいが、全共闘の成れの果ての弁は『華厳経』などチラつかせてexplicitではない。
 杉田敦氏へのインタビュー「丸山眞男のアクチュアリティ」では、「丸山眞男は、実は孤独な人だったのではないか」と、丸山眞男の立ち位置について論じている。丸山の「現代における人間と政治」では、この社会には主流派=内側と反主流派=外側の区別が存在し、外側が迫害される。さらに内側の中心部と外側の中心部があり、外側にも正統派がいることになる。「内側からも外側からも孤立した場所、つまり内外の境界に、知識人は身を置くべきであるとしている」丸山眞男は、「体制に対しては反体制の態度を取るが、他方で、反体制からも距離を置く。単純な外側ではありません」。「あらゆる立場に対して一定の距離を取る態度としてのリベラリズム」の典型が丸山眞男であり、その「並はずれた力量によって、リベラルであり続けていたと言えるかもしれません」。なるほどいまにして納得できる批評である。

 倫理学川本隆史氏と日本政治思想史の苅部直氏との討議「丸山眞男を問い直す」は、学者であることと思索者・思想家であろうとしたこととの丸山眞男における相克を論じていて、面白く読めた。驚いたのは、純然たるアカデミズムの徒として歩んできたと思われる川本氏が、そこそこ丸山眞男の著作と接してきて、師と仰いだ吉本隆明の『丸山眞男論』さらに色川大吉などの民衆思想史によって、ある時期「丸山離れ」をした経歴があるとのことである。政治の捉え方をめぐる議論のところはこの討議の核心部分であろう。

川本:(略) 丸山においても、政治はあくまでも生活の一部に収めるべきもので、その中核は権力をめぐる争いにあるとされていたのでしょうか。
苅部:そうだと思います。
川本:しかし、「まつりごと」としての政治はいざ知らず、「ポリティクス」としての政治は、ポリス(つまり、人びとが互いのニーズを満たし合うために始まった共同居住)を切り盛りする技、異なる人びとが共に折り合いをつけながら生きていくための知恵だったのではないでしょうか。「政治」を権力をめぐる争いに縮減することには抵抗を覚えてなりません。
          (略)

川本:政治に高邁な目標を求めさせるのではなく、それをしかるべき位置に収めておいてきちんとコントロールすればいいという路線になるのでしょうか。
苅部:もちろん、政治権力をコントロールする前提としては、市民の一人ひとりが自己の内面に、何らかの価値へのコミットメントを抱いていることが必要だと丸山は考えていたでしょう。しかしこちらを強調してゆくと、そうした価値が政治運動のイデオロギーと化して、権力によってその価値を人びとに強制する事態も引き起こしかねない。そこにあるジレンマを、丸山は考え続けたのでしょう。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20131217/1387267861(「橋川文三没後30年」)