METオペラ『エウリディーチェ』(WOWOWライブ)は、哀切の極みを巧みに美しく

www.youtube.com 本日WOWOWライブ放送の、METオペラ、マシュー・オーコイン作曲『エウリディーチェ』視聴。指揮はヤニック・ネゼ=セガン。幸い外は降雨のため(わが古民家の)雨戸閉めたまま、思い切り大きな音で愉しめた。このオペラは、ギリシア神話オルフェウスとエウリディケーの知られた物語に材をとった、現代の愛の悲劇。台本はサラ・ルール、演出はメアリー・ジマーマンの女性コンビ。この神話のエピソードをエウリディーチェ=女性の主観を中心にして新たに組み立てて、展開。夫=オルフェオとの関係と同じ重さで、亡き父との関係にも焦点をあてているところがミソ。脚本を書いているとき、サラ・ルールは父を亡くしていたそうで、その深い悲しみと喪失感が根底にあるのだろう。舞台は、終幕において哀切の極みが漂っている。
 タイトルロールのエリン・モーリーのソプラノはやわらかく美しく、その身体的表現が発する清澄な感じもこのオペラにふさわしい。最後のアリア、夫オルフェオの痛恨の失敗で黄泉の国から地上に戻れなくなったエウリディーチェが、どう配達されるかも知れない手紙を書き、どうぞ再婚してくださいね、そして新しい奥様、オルフェオの髪が濡れたままのときは梳かしてあげてください、オルフェオが悲しんでいるときは額にキスしてあげてください、愛とはそういうものでしょう、と切々と歌うところは、涙なしには聴けない。
 冥府に降りてくる死者たちは川で地上で得た言葉と記憶を流し去らねばならなかった。エウリディーチェが冥府の支配者ハデス(バーリー・バンク)の悪巧みにはまり転落死して死者の父(ネイサン・バーグ)と出会うが、父は必死に持ちこたえて言葉も(地上の)記憶も失っていなかった。ところが娘がオルフェオの後に従って地上に戻ることに成功したと勘違いした父は、この川(冥界行きのエレベーターのシャワーで示される、巧みな仕掛け)の水に浸って絶望と孤独から逃亡していたのだ。すでに記憶も言葉(音声)も失っている。エウリディーチェもまた、手紙を認めた後シャワーを浴びて記憶も言葉も失う。シャワーとは汚れを洗い流す装置だが、ここでは汚れも伴ったあらゆる記憶を洗い流してしまうのだ。哀切の極みである。
 二人の記憶喪失者が寄りかかるように倒れているシャワー付きエレベーターの外に、別のエレベーターから出てきたオルフェオ(ジョシュア・ホプキンス)、たっぷり川の水に浸ったらしく表情も虚ろで、エウリディーチェの手紙にも無頓着、足で踏んでしまう。音楽家であったオルフェオは、エウリディーチェなしの藝術と人生は考えられなかったのだろう。予想外の結末であった。
 面白い演出としてオルフェオには音楽家としての分身(ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキ)が存在し、影のように、同性愛の恋人のように寄り添う。ブレイクダンスが得意とのことで、バク転をしたりする。冥府の支配者ハデスが、彼の愛しているのはエウリディーチェではない、音楽なのだ、とエウリディーチェの心を揺さぶる企みに説得力があるのも、この設定の効果だろう。冥界の支配者というと、ハデスの声は重く低い声と予想してしまうが、違っていた。高音で流れるように歌っていた。最後の最後で「エウリディーチェよ、わしの婚約者になるのだ」と(急に背丈が大きくなって)悪ボスの畏怖を示すが、それまでは知的な詐欺師の趣であった。
 幕間のインタビューで、演出をしたメアリー・ジマーマンさんが、「ひとは必ず死と喪失に出会います。オペラ・演劇は、人生でその避けられない体験のリハーサルをしているのです」と語っていた。味わい深いことばである。