イスタンブールのベレン・サート(Beren Saat):バフマン・ゴバディ監督『サイの季節』&大河ドラマ『キョセム』S1

 バフマン・ゴバディ監督の『サイの季節』は、1978〜1979年、イランにおいてアメリカに支えられていたパフラヴィー朝の独裁体制を倒し、ホメイニ師に指導され、シーア派の多数派十二イマーム派(第4代カリフのアリーとその子孫のみをイマームイスラーム共同体の精神的指導者として認める)の教義に基づくイスラーム法学者による統治を目指しイラン=イスラム共和国が成立した、イスラム革命イラン革命)時の混乱が生んだ詩人夫婦の悲劇の実話を題材にしている映画作品である。題名『Rhino Season』のrhinorhinoceros)=サイは、日本人であれば、仏典『スッタニパータ』の「犀の角のようにただ独り歩め」のことばを思い浮かべるところだが、サイは厚い鋼鉄のような表皮で体の内部(いのち)を封じ込んでいる動物のイメージで、主人公サヘルの詩に「大地は堅い塩の固まりだ。サイはその大地をなめる」との表現があり、ことばにならない絶望と苦難を生きる夫婦の人生を象徴していよう。

 物語は時系列的に展開するのではなく、2010年冬のトルコのイスタンブールを舞台とし、主人公サヘル(ベヘールズ・ヴォスギー)の回想と現在の幻想的な心象風景が交錯して表わされるので、観る者は困惑しわからなくなってしまう。DVDの細部の映像を何回も視聴し、ようやく全貌が見えてくるのである。
 イランで幸福な生活を過ごしていた詩人サヘル(30年前:カネル・シンドルク)と妻ミナ(モニカ・ベルッチ)はともにクルド系のイラン人。ミナは司令官(大佐)の娘で上流階級の出身。ある日車で遠出した折、サヘルがいない時間に突然猛スピードで車を走らせ止めると、お抱え運転手のアクバル(ユルマズ・エルドガン)が、ミナに「好きなんです」と告白。これを伝え聞いたミナの父は激怒、アクバルにお仕置きをした。ここで露わになった、アクバルのルサンチマンと歪んだ欲望こそ、サヘル夫婦の悲劇の根本原因である。イスラム革命が勃発すると、なぜかサヘルは政治的詩を書いている詩人であり、反革命政府の連中と繋がっているとの密告で連行され、かんたんな裁判の結果、サヘルは禁錮30年、妻ミナは禁錮10年とされ、それぞれ男女別の牢獄に収監された。北西部クルド人に対する革命政府の苛烈な弾圧を措くとして、じつは虚偽の密告をしたのがアクバルで、彼はドサクサのなか革命隊の幹部になっていたのだ。「革命直後、髭を伸ばして敬虔な信徒のふりをすれば役所の上級職員にも就けた」という混乱の時期であった。また裁判なるものも、ある著名なイスラム法学者が自らの判決で絞首刑になった多くの政敵の亡骸を見て、「いったい彼らは実際には何をしたわけ?」と尋ねたという逸話が残っているほど杜撰なものだったらしい。

 ある日、サヘルとミナが別々の刑務所から連れられて、一度だけの情交が許された。ミナは裸の上に黒いガウンを纏い、サヘルは半裸で、それぞれ黒い袋を頭から被せられ〈出会いの場所〉で言葉を発することなく激しく哀しく互いを求め合った。ところがこのシステムを知ったアクバルが、小さな権力を私的に悪用し、自分がサヘルを装って袋を被り、裸のミナを犯したのであった。すぐにミナは気づくのだが、もはや抵抗できなかった。しばらくして男女双子の赤ちゃんが産まれた。その後ミナは子供とともに釈放され、イランの地から去った。サヘルが刑務所を出たのは、それから20年近くも後のことだった。しかしサヘルはなぜか死んだことになっていて、墓まで存在していた。だからミナは去ったのだ。
 情報を頼りにトルコのイスタンブールに行き、そこの民間の情報・調査会社でようやくミナの所在がわかった。しかしアクバルも来ていて面倒をみているらしいとの心配の情報も。賃貸アパートも借り、中古の車も手に入れて海辺の断崖に建つミナの住居にたどり着けば、犬を連れた男が慣れた感じで門扉を開けて出てくるのに遭遇。訝しく思ったサヘルは、門扉を開けて中に入るが大きな窓から中を窺って戻った。ドアが閉まった部屋があることに疑いを感じた。
 翌日か数日後か、男のバイクの後ろに乗ったミナが街中を移動する、それをサヘルは車で尾行した。あるアパートのようなところにミナが入り、男がカフェで待つ。サヘルは近づいて一緒にバックギャモンに興じる。だいぶ時間が経ってから男のケイタイが鳴り、男は店を出た。次も尾行を続けると、またアパートの部屋に。サヘルが一望できる高いところから眺めると、一人の男性がシャツを脱ぎ、ミナがカーテンを閉めるのが見え、サヘルは確信し絶望した。しかしこれは勘違いであった。

 別な日ミナは、双子のひとりの娘(ベレン・サート)を連れて海の見えるカフェでアクバルと会っていた。ヨーロッパに行くためのパスポートが欲しい、とミナが言うと、俺の子たちは置いていけ、とアクバル。アクバルは双子が自分の子であると思い込んでいるらしい。そう思わせておいたほうが好都合だからだろう。3人一緒でないとダメ、とミナ。その後、どこかの部屋でアクバルとミナが裸で抱き合っているシーン。ミナの頭には例の黒い袋が被さっている。情事が済んでから、アクバルは置物台の上に乱暴にパスポート3冊を置いた。双子のもうひとりは、サヘルがミナの家を覗き見した時、動く青年の影が見えた、その人物だろう。

 
 サヘルがミナの家を探し当てた時帰り突然雨が降り、二人の若い女が車に乗せてくれと頼んだので乗せてやり、その後仲良くなった。二人は娼婦で、ひとりはこの仕事に慣れていないようだった。あるとき二人は悪い男たちから暴行を受け、庇ったサヘルも軽い傷を負い3人でサヘルの部屋に泊まることになった。ひとりの美しい娼婦はファザコンなのか、この老いたサヘルに興味があるようだった。半眠りのサヘルの体をその娘は愛撫してくれているようだった。朝目が覚めると、サヘルの隣に背を向けて娘が寝ていて、剥き出しの背中を見ると何と、かつてサヘルが書いた詩のことばがタトゥーになっていた。「何だこれは?」「私のママが彫ってくれたの。ママはタトゥーの彫り師なんだよ。父の遺産なんだって」もうひとりの若い女が「その子の父親は詩人だったんだって。もうだいぶ前に亡くなっているんだ」ひょっとするといや現実に、オイディプスの悲劇を演じていたのかも、とサヘルは驚愕した。
 その後娘の連絡で部屋にミナを呼び、彫り師ミナに詩のことばのタトゥーを背中に彫ってもらった。ミナが手慣れた動作でカーテンを閉め暗くなった部屋で、決して顔を上げることなく俯いたままの姿勢で、自分の正体を明かさず、サヘルは彫らせ続けた。彫り終わるとミナは明かりを消し、黙って部屋を出て行った。
 翌日、サヘルはアクバルの居場所を訪れ、誰もいなくなってから彼を車に乗せて、そのまま海に沈ませて行った。その車を引き上げる光景を、ヨーロッパ行きの大きくはない船の甲板上で動かずミナは凝視していた。誰かが家の中を覗いている気配を感じた時から、ミナは直感で何かを察していたのだ。黙って海底に自分の身を沈め、夫婦の人生を破壊したアクバルに復讐し、ミナと子供たちの再出発を祝福したサヘルの絶望と深い愛を、ミナは全身で受けとめたに違いない。

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 トルコの歴史大河ドラマ『新・オスマン帝国外伝:キョセム』シーズン2は、トルコ語(英語も)に精通したオットマニアの主婦さんによれば、シーズン1への(オスマン主義者のエルドアン大統領も支持する)イスラーム保守派の猛批判の影響か、キョセムのキャラ変もあり、全体のテイストがS1とはまるで違っているとのこと。キョセム役がベレン・サートからトルコ最高の演技派女優らしいヌルギュル・イェシルチャイに交代。歴史離れは前シリーズから続いているところで気にならないが、女性蔑視のイスラームという印象で、かつ(裏切り者こそ勝利するという)殺伐として救いがないダークエンドの物語では、S2は観ないのが正解であろう。
 オスマン帝国史が専門の松尾有里子上智大学非常勤講師によれば、
オスマン帝国の目指すべき改革を説いた『キターブ・ミュステターブ』の作者は「魚は頭から腐る」と古い格言を引き、有能な指導者の不在が理想の世に遠く及ばない現在の状況を生み出したと悲嘆した。魚(王朝)の頭には本来、英雄然とした皇帝(スルタン)が鎮座するのが理想と考えていたのだろう。しかし、すでにスレイマン1世治世の後期から、君主本人ではなく大宰相をはじめとする軍人政治家たちが専門分化した官僚機構を使って帝国全体を統治する時代が到来していた。したがって、17世紀の「魚の頭」は、実際には軍人政治家やウラマー(知識人)、そして後宮の女人たちから構成されていた。後宮の女性たちの国政への関与は「女人の統治」とも呼ばれ、スレイマン1世の寵姫(ハセキ)ヒュッレムを嚆矢とし、17世紀の母后キョセムの時代に絶頂期を迎える。従来、このような後宮の女性たちの台頭は一時的で「衰退」を予兆する現象と捉えられがちであったが、現在では、新たな統治体制に即した王位継承の変化による必然とも考えられている。
 そして、
オスマン史家のテズジャンはこの危機と変革の時代を「第二オスマン帝国」と呼んでいる。ヨーロッパでも同時代、王朝の危機を救った女人たちがいた。スコットランド女王のメアリー(在位1542-1567)、イングランドのエリザベス1世(在位1558-1603)、フランスのアンリ3世(在位1551-1589)の母后カトリーヌ・ド・メディシスである。オスマン帝国の「女人の統治」も後宮の女性たちの権力闘争のみに着目するのではなく、同時代のヨーロッパ宮廷で見られた女性の活躍という歴史的文脈から比較し、再考するのも意義があろう。

rekijin.com ベレン・サート(Beren Saat)のキョセムが最も美しく哀しい顔を見せたのは、実の妹をライバルのサフィエ太皇太后の謀りごとに乗って死なせてしまったときのシーン。

https://www.youtube.com/watch?v=AOR8V4i8N9c