四世南北作『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』観劇

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 一昨日3/12(金)は、国立劇場・大劇場にて、四世南北作『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』を観劇した。NHK大河『麒麟がくる』と同じ題材、明智光秀(武智光秀)の「本能寺の変」に至る止むに止まれぬ心理的カニズムを、主君織田信長(小田春永)との軋轢を通して描いている。『麒麟がくる』では、狂気の暴君と化した信長では泰平の世建設は無理と光秀が判断し、帝・将軍・(信長正室帰蝶らの願いにも励まされ謀反を決行する、という展開であったが、歌舞伎作品では、信長の執拗なパワハラと秀吉への偏愛に耐えに耐えかねての「本能寺の変」という展開となっている。
 信長のパワハラの内容は、1)光秀の勅使に対する饗応が華美に過ぎると叱責し、森蘭丸に命じて鉄扇で眉間が割れるほど打擲させる(序幕)、2)蟄居中の光秀を宿泊先の本能寺に呼び出し、光秀献上の活け花(紫陽花と昼顔)に難癖をつけ、馬を洗う時に使う大型の盥、馬盥(ばたらい)で酒を飲むよう強要する(二幕目)、3)光秀がかつて越前で貧しい暮らしを送っていたころ、妻の皐月が暮らしの足しにと切って売った切り髪を入れた箱を下しものとして渡し、満座の中で恥辱を与えた(二幕目)などである。大詰「愛宕山連歌の場」、憤怒の極点でついに光秀は謀反を決断、実行するのである。昔のプロレスの力道山怒りの空手チョップ、あるいは高倉健主演『唐獅子牡丹』の究極の殴り込みで得たカタルシスと同質のものを、江戸の観客らも感じたのであろう。
 中国古典のエピソードなどの引用も台詞に多く、歌舞伎鑑賞では台本が不可欠、これを同時に捲りながら台詞を聴いて鑑賞、わがスタイルである。帰ってから筋書きを読んでさらに理解を深め愉しむ、と言いたいところだが、筋書きに寄稿の呉座勇一氏の「明智光秀の虚像と実像」を読むと、その実像に嘆息してしまう。イエズス会宣教師ルイス・フロイスの光秀理解を紹介し、怨恨よりも「過度の利欲と野心が募りに募り、ついにはそれが天下の主になることを彼に望ませるまでになった」蓋然性が高いと説いているそうである。また、信長の非道を阻止するために「変」を起こしたとの説も疑わしいとのことで、明智光秀は名門美濃源氏土岐氏一族に連なるとの根拠は脆弱で、伝統を重んじる保守的な常識人であったというイメージも怪しいそうである。「史実の光秀は穏和な常識人ではなく、むしろ冷酷な野心家だったのではないだろうか」と、呉座氏は結んでいる。ヤレヤレ。
 光秀妻皐月役の中村梅枝と妹桔梗役の坂東新悟の両女形坂東玉三郎のように背が高く驚いた。

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              国立劇場

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  半蔵門線錦糸町下車、駅前星乃珈琲店でコーヒー&苺ショートケーキ