キム・ギドク監督『嘆きのピエタ』をDVDで観る(ネタバレ注意)

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   小さな金融会社に雇われて暴力的に、零細な町工場の経営者らから借金の取り立てをしている30歳の男ガンド(イ・ジョンジン)。(ほとんどが該当する)元金の10倍の借金を返せない者には、工場の機械を使うかビルから飛び下りさせて障害者に仕立て上げ、保険金を請求させる凄惨な手法で取り立てる。いささかの憐憫の情もかけない。それがガンドであった。
 ところがある日、ガンドを30年前に捨ててしまったという女が、つまり彼の母(オモニ)だと名のる女(チョ・ミンス)が彼の前に現われ、「許してくれ」と過去を詫びて近づく。ガンドは疑うが、女を犯そうとして女が抵抗するでもなく激しく泣くのみなので途中で行為をやめたり、行動を共にするうち次第に心を許し合い、ついに実の母と信じるようになるのだった。セーターを手編みし、ガンドの誕生祝いのケーキまで「買って来て」と心を配る。はたしてこの女は何者なのか? グイグイ惹きつけられて観続ける。
 取り立てに迫られたある経営者の男は、飛び降りて障害者になるビルの高さを超えた階から落下して自殺するが、直前に「金って何なんだろう?」と謎のような問いかけをガンドに残していた。部屋に戻って、女にその問いを発すると、「すべてがそこから始まり、そこで終わる」と答え、事柄を羅列し、「復讐も」と結ぶ。ここで、観る者は彼女の正体と真の意図に気づくのである。彼女は、ロックされたシャッターの町工場に入り、何か冷凍保存されたようなボックスの蓋を開け涙を流し続ける。ここは映画の冒頭で若い男が機械でまさに障害者にされかかっていたシーンに繋がる。女は、その男の母だったのだ。
 女は正体を明かさず、水辺の草地に松の植樹をガンドに頼み、「私が死んだらここに埋めて」と言う。「そんな」とガンド。「人は死ぬものよ」と女。
 女は、自分の携帯を巧みに使って、女がガンドに恨みをもつ人間に襲われ誘拐されているように細工し、ついにビルから飛び降りる。「自分の最も愛する者を失う人間の絶望を味わうことになる」と呟きつつ、「しかしガンドも哀れなのだ」と反する感情も隠せない。二人は母と子として真実の愛情を育んでしまっていたのだ。ガンドも取り立てで手心を加えていたりした。ガンドの暴力の底には、絶対的な孤独と世に対する絶望があったのだ。
 女の亡骸を埋めようとすると、穴の中には女が編んでいたセーターを身につけた男の遺体があった。ガンドはすべてを理解した。そして贖罪のためか、夫を障害者にしてしまった妻の運転する軽トラックの下に、鎖で車後部に繋げた自らの体を横たえるのであった。
 ガンドと女が〈奇妙な〉愛の関係を深める過程と結末で、何故に人間はこのように不幸に人生を送らねばならないのか、悲しみと憤りが収まらない。感動した。キム・ギドク監督自身の犯罪性については知らない。この映画が素晴らしい作品であるということ、それはたしかである。女優チョ・ミンスの複雑な感情を隠しもった美しい表情と所作に圧倒された。夢に出て来そうだ。