批評誌『G-W-G』04号発刊

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 批評誌『G-W-G』(G-W-G編集委員会発行)04号が発刊された。さっそく、中山弘明氏の「尾崎秀樹(ほつき)と雑誌『中国』」を読む。尾崎秀樹が中核的に関わった雑誌『中国』(1962年〜、「中国の会」の自主刊行物としては1964年〜)を通して、文化革命体験(1968年春&1971年夏)によって、尾崎の大衆意識がどう深化したのかを追求している。
 尾崎秀樹は、『文芸日本』の編集を手伝うなかで、熱狂的な「浪曲ファン」と関わって、自らの中にある「大衆芸能熱」に火がついたそうで、さらに同人の伊藤桂一によって「大衆文学論をやれ」と拍車をかけられたとのこと。『文芸日本』のメンバーの多くは、やがてそのまま榊山潤(没後は令夫人)を囲む「榊の会」にスライド参加していて、亡き葉山修平さんの紹介にて作家の藤蔭道子さんとともにこちらも加えていただいたので、列挙されている名前は、いつも着物姿の尾崎秀樹をはじめ懐かしいのである。
 さて、尾崎秀樹は、2度のしかもそれぞれ1ヶ月に及ぶ滞在で、周恩来首相の日本映画『人間の条件』についての批評と、中国労農民衆の内なる革命に触発されて、内なる対中国観とそれに関連して民衆文化についての認識を深めることになる。

「政治主義」のレベルでは解決できない、しかも「言葉にならな」い「政治」がある。それを越えていく可能性を、尾崎は「一番底辺のレベルでの交流」に求めている。ここにも前節でみたグラムシとも関わる「民間信仰」の指摘がある。(p.25) 

 この論考で驚いたのが、イタリアのマルクス主義思想家アントニオ・グラムシの名が出てくることである。グラムシは、尾崎によれば、「新しい国民文学の概念、いいかえるならば理想としての大衆文学の概念を『民族的ー大衆的』という二語の合成で表現した。この問題はそのまま日本の現実にも当てはまる」と。グラムシには、「新聞小説論」と「大衆文学論」の著作があるらしい。このグラムシの影響下で、大衆のもつ「ナショナリズム」を負のものとしてのみ捉えるのではなく、「反体制的なものに基づく」ものは評価すべきであると考え、その延長線上で中国における文化大革命を体験したのだというわけである。
 なおあくまでも学問史の立場で、尾崎秀樹の大衆文学論形成の重要な一端を取り上げているのであって、この論考じたいが中国文化大革命を称揚しているわけではない(そうとれなくもないが)。胃癌で亡くなる前年の何かのパーティーで立ち話をした尾崎秀樹さんを追憶し、面白かった。 

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