『置文21』39号発刊



 昔「構造改革派」(※新自由主義構造改革とは無関係)と呼ばれる左翼運動の一派があった。イタリアのアントニオ・グラムシ(1891〜1937)およびその後継者パルミーロ・ トリアッティ(1893〜1964)らの思想と運動に影響を受けていた。今年は、グラムシの没後80周年にあたるとのこと。編集の中心にそのいわば〈残党〉(※貶めているわけではない、念のため)の方々がいると思しき、『置文21』No.39が11月15日付で発刊された。とうぜん実践と結びついた論文を柱としつつも、短歌・俳句・エッセイの「随想」欄もあり、多彩である。陰謀論と連結した今日のネット左翼の言説(与太話)とは一線を画して、思想戦ともいうべき理論構築に〈研鑽〉している姿勢に敬意を表したい。
 暴力革命と構造改革 | 時の過ぎ去るがごとく
 グラムシの意義と限界 – ne plu kapitalismo
 ディプロ2011-3 - Pacte democratique entre puissances du Sud
 左傾化する米ミレニアル、資本主義の捉え方に変化 - WSJ
 同誌を送っていただいた中川三郎氏のエッセイ「キモカワイイと幼童天皇」は面白く読んだ。20年以上前に、中川さんが京都府八幡市橋本遊郭跡に足しげく通い詰め、愛用のカメラで写真を撮りまくったそうである。その写真をいまFacebookにぼちぼち公開したところ、思わぬ「いいね・コメント」が返ってきたとのこと。元K大全共闘活動家とかウーマン・リブ活動家とかの人の、紹介されているコメントはいかにもそれらしく楽しめた。エッセイに挿入されている、中川さんが若いころ橋本遊郭跡を訪問ぶらついたときのことをその数年後に書いた描写に、眼が止まった。

 私は、つげ義春の「ゲンセンカン主人」の主人公になった気分で、歩いてゆく。異様な、背筋に冷水をあびせられたような戦慄をおぼえながら……。1968年、「ねじ式」とともに衝撃をうけた「ゲンセンカン主人」のあの悪夢のような世界が、ふいに眼のまえに出現したかのようであった。その時、私はつげ義春の不安と恐怖に彩られた、しかしある懐かしい気分にみちた迷路のような場所に、さ迷いこんでしまった錯覚にとらえられていたのであった。

 つげ義春では、個人的には短篇「紅い花」が最も印象的な作品。『ガロ』のつげ義春短篇特集を所蔵しているが、探しても見つからなかった。作品集『隣りの女』(日本文芸社1985年刊)は座右にある。

 【つげ義春】ハマると抜け出せない!鬱でシュールな つげ義春の漫画10選! - NAVER まとめ
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