ロラン・バルト(Roland Barthes)『表徴の帝国』(新潮社)から

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    昨日3/26(木)は、ロラン・バルト没後40年(1980年3/26没)の命日にあたる。『表徴の帝国』(宗左近訳、1974年 新潮社)に、都市の中心をめぐって、西欧の都市と日本の都市について比較している、それこそ中心的な議論がある。
 西欧の都市は同心円的である法則があるが、これは歴史的、経済的、宗教的、軍事的な理由によるものである。

 だが、またいっさいの中心は真理の場であるとする西欧の形而上学の歩みそのものに適応して、わたしたちの都市の中心はつねに《充実》している。文明の価値のもろもろ、つまり精神性(教会が代表)、権力性(官庁が代表)、金銭性(銀行が代表)、商業性(デパートが代表)、言語性(カッフェと遊歩道をもつ広場が代表)、これらが集合し凝縮しているのは、まさにこの特別の場所においてである。中心へゆくこと、それは社会の《真理》と出会うことである。それは、《現実》のみごとな充実に参加することである。(p.43)

 それに対して、日本の近代都市は広大な地域の中に(街路の名前を欠いてはいても)地名の因縁をもつ各地区が境界をもち、一つの領域としてまとまっている、としている。  

もしもその地区がきっちりした境界をもち、よくまとまって、おさまりがよく、みごとに一つの領域となっているとすれば、それはその地区が一つの中心をもっているからである。ただし、その中心は精神的には空虚である。そして通常、その中心とは駅である。(p.51)