佐伯隆幸追悼


 佐伯隆幸氏の演劇論は、たんなる印象批評の域を超えて、思索と時代への洞察を基底にしたもので、あちこちで散見したその批評に学ぶところがあった。『20世紀演劇の精神史』(晶文社・1982年)の「八:死者たちの対話」におけるサルトルへの批評は、面白い。
 1980年4月15日に亡くなったJ.P.サルトルの葬儀が、4月19日で、14区のディド病院からモンパルナス墓地までの約4キロのデモ行進に、一時期紛れもなく「小サルトリアン」であった佐伯氏が、「野次馬的興味から」途中参加したときの経験を語っている。「一種無限に自由にみえたこの葬送カルナヴァル」に興奮してしまっての、葬送の隊列参加であったとのこと。
……墓地に沿った高塀の前に着いたのは五時過ぎだったろうか—朝市のバラックが残っている通りはもう立錐の余地なくひとで埋まり、ほとんど身動きのつかぬ状態になっていた。どうでも終点まで行きつかねば気の済まぬ連中が墓地の入口めざして殺到し、あとからあとから到着する後続部隊はなにが起っているのかわからぬまま前に進もうとし、物見高い連中は塀によじのぼってなかを覗きこむ。雑踏のなかで子供が泣き、女が気を失い、だれかがだれかの足を踏む。こうなるともう、サルトルローマ法王デヴィッド・ボウイーも区別はありはしない。……( p.218
 その作品のなかで『地上のみならず死後においてさえおのれが存在の意味を付与されていると自負し、万人にもそう認められているような連中のことを最大級の侮辱をこめて「下種野郎」と呼び、そうした存在に向って「さらば美しい百合よ、われわれの誇り、われわれの存在の理由よ」と訣別の言葉を送っていた』この死者を、歴史と国家が叙聖し存在の意味を与えている、歴史の逆説をみごとに暴いていて、じつに味わい深い叙述である。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20140223/1393146234(「ひさしぶりにサルトル作品観劇:2014年2/23 」)

 アリアーヌ・ムヌーシュキン(Ariane Mnouchkine)主宰の太陽劇団の2001年9月新国立劇場中劇場での来日公演、『堤防の上の鼓手』の公演パンフレットに佐伯隆幸氏が寄稿している。
……西の方法で再生を図るだけではあれこれの物語や近代演劇に染みついた「自然主義的身体」(ムヌーシュキン自身の語でもある)は超えられないという隘路が否応なくあるのであり、彼女はそこを、神話的強度、異様性を東洋の幻惑にもとめることで一気に突破する回路をとったのだ。その回路は西欧文化が袋小路に陥ったときによくやる、場の固有性はみず、辺境を手前味噌にパッチワークする発想に似てもいれば、東洋に伝統演劇しかみない眼そのものがいわゆるオリエンタリズムぽいし、ポストコロニアル期の演劇として無防備すぎないかということはできる。それはそう、でも、かく西欧演劇は切迫し、かくも歴史を奪還する演劇的言語を希求しており、だれかがその難問に手をつけなければならず、太陽劇団はそこでときに苦戦含みの試行をしているのだということもまたたしか、それが「物語」の散乱する東京の演劇に反面教師であれ、いささかでも届くといいという願望で当面擱く。……( p.21 )