サルタヒコ(猿田彦)大神について


(この秋は、いただいたこのコーヒーを飲む機会が多かった。)
 東京・恵比寿のスペシャルティ・コーヒー専門店|猿田彦珈琲
 
  いまは亡き作家の中上健次から「猿田彦の謎を解け」と迫られたことがあるとの、鎌田東二・現京都大学こころの未来研究センター教授の『ウズメとサルタヒコの神話学』(大和書房・2000年8月初版)は面白い。「大気・大地・光・樹木、石、海、森そのものの中にあるサムシング・グレート」にたえず畏怖の念をもち手を合わせる旅人が、あるときは死の危険と隣り合わせの体験も交えつつ、サルタヒコ(猿田彦)信仰のルーツを求めて、四国南端、出雲、伊勢、日向、沖縄を巡る。天つ神の太陽神=天照大神に対して、サルタヒコ(猿田彦)大神は、国つ神の太陽神であるとし、その〈足跡〉は太平洋側の黒潮の潮流と、大昔は大陸・朝鮮半島に隣接して、こちらこそ表であった日本海側の暖流の潮流に乗った、その信仰の軌跡を各地の聖なる空間での身体感覚を通して探索している。「天の八衢(やちまた:※道がいくつにも分かれている所)に居て、上は高天原を光(てら)し、下は葦原中国(あしはらのなかつくに)を光(てら)す神」(古事記)であるサルタヒコ(猿田彦)について、理解が深まった。
ヤマタノオロチもサルタヒコもそのような尋常ならざる「徳(こと:霊威・威力)」をもち、発現している点で「可畏(かしこ)き物」としてのカミにほかならない。しかもこの二神は、眼が「赤酸醤(あかかがち)※ほおずき」のようだと形容されている点においても共通している。見るからに巨大で、畏形の姿を保ち、怖ろしいほどの威力をみなぎらせている荒ぶるカミなのだ。( p.89 )
◯サルタヒコ神話に服属儀礼の構図を見るのは、サルタヒコが海中に没したあとの条(くだ)りで、アメノウズメが神の大小の魚を全部集めて、天孫に仕えるかどうかを問いただし、それにただ一人答えなかったナマコの口を切り裂いたと記されている点からも首肯できるだろう。( pp.95~96 )
◯興味深いのは、ヤマタノオロチスサノオに退治されるのに対して、サルタヒコには「面((おも)勝つ・目勝つ」であるアメノウズメが対面してその威力ある眼で見すえ、胸乳(むなぢ)を露わにし女陰(ほと)を露出して屈服せしめ、ついにはこの二神が夫婦神となる点である。天つ神であるアメノウズメと国つ神であるサルタヒコは、共にすさまじい眼力をもち、他を圧する威力のある神である。( pp.89~90 )
◯西の日向の地から東の日向の地である伊勢までも制圧することによってはじめて大和王権は「日本」という国家を統一した。日向と伊勢は、その意味では、太陽の道の始点と終点、太陽神神話の起点と終点なのである。日向の太陽神信仰はそこに「韓国(からくに)」という語がみえているように、渡来系の太陽神信仰であり、伊勢の太陽神信仰は「漁」をするサルタヒコの姿からしても先住土着の海洋民系の太陽神信仰ではないか。( p.94 )
伊波普猷(いはふゆう)は琉球古語や琉球方言に残っている「サダル」の語の用法と分布を吟味した結論として、サルタヒコの神は、もともと古くは「サダヒコノカミ(先駆の神)」と言ったにちがいないと主張する。伊波普猷の所説においては、これが直接宮古島狩俣の祖神祭における先がけの神サダル神と結びついているわけではない。それを明確に結びつけたのは、谷川健一氏の仕事であり、それに先立つ瀧川政次郎氏の論考も重要である。( p.126 )
 鎌田東二オフィシャルサイト