立川志らくの高座と舞台(その3)

 

 昨日3/14(木)は、東京銀座ブロッサム(中央会館)にて、本年最初の落語鑑賞、「立川志らく独演会」を聴いた。S氏主宰落語研究会への参加である。参加者数は、風邪や急の法事などで欠席3名あって、10名となった。このところの気候は気まぐれで、昨晩は風も冷たく、東銀座駅から会場まで春到来の浮き浮きした気分ではなかった。

 前座は置かず、志らく師匠の文字通りの独演会。ナンセンスの笑いこそ落語の真骨頂とする、志らくの姿勢が一貫した高座であった。番組は、1:「欠伸(あくび)指南」、1:「粗忽長屋」(仲入り) 3:「与太郎一代記」。メインは後半の「与太郎一代記」にある。与太郎噺をまとめて、与太郎なる人物の本質をあぶり出そうとしたようである。

「欠伸指南」は、志らくが学生時代から演じている十八番、聴いている者には決して欠伸などさせない面白さ。『「船頭さん、船、上手にやっておくれ。堀からあがって一杯やって、あとは吉原(なか)でも行って、乙な新造(しんぞ)でも買って遊ぼうか、船もいいが、一日乗ってると、退屈で、退屈で、ふああーあ、ならねえ」、いやあ、くだらなくていいなあ。』(立川志らく『全身落語家読本』新潮選書)と書く通りの展開。

粗忽長屋」は、「談志落語の最高傑作」(『全身落語家読本』)としている噺で、自分の亡骸を引取りに行くというナンセンスの極みの内容である。かつてTVで談志の「粗忽長屋」を聴いている。挿入されるそのときどきのナンセンスギャグが微妙な味付けの違いとなろう。粗忽者の男が見物人たちの股潜りをするところで、談志を重ねて聴いた。

与太郎一代記」は、「道具屋」「牛ほめ」「金明竹(きんめいちく)」「ろくろ首」をまとめて、落語について先生が生徒に講釈するという展開形式。志らくならではの力技、実に愉快で楽しかった。「つまりは、落語というものを作ったのは与太郎なんだな」というのが、先生の落ちである。

 談志によれば「生産性のない」与太郎は「優雅なやつ」であって、「世間の常識に合わないから人々は与太郎の事を抜けているとかバカとか言う」(『全身落語家読本』)との与太郎観で一貫させている。「道具屋」では、「道具屋お月さま見て跳ねる」のことば、「金明竹」では与太郎の〈計算された〉悪ふざけを強調している。

金明竹」の客の大阪人の口上には笑わされた。大阪育ちのアメリカ人という設定で、わけの分からない〈大阪弁〉の言い立てで面白い。「ろくろ首」の落ちは、「え、首を長く……おっかさんもろくろ首だ!」の二代目円歌のそれ(『全身落語家読本』)。 

 終演後、中華料理店「華宴」で呑み会。肝炎ウイルス感染者K氏の「病気自慢」の話に圧倒されつつ、杯を傾け、盛り上がった。新橋駅で11時過ぎの快速に飛び乗って帰宅。(『「立川志らく独演会」を聴く』2013年3/15記 ) 


 一昨日3/14(金)夜は、東京銀座ブロッサム中央会館にて、『立川志らく独演会』を聴いた。S氏主宰落語研究会の3月定例会の企画である。参加は12名。番組は以下プログラムの通り。

 前座立川志らべの落語は、「欠伸指南」。とぼけたなかに、ある種の人種の知的装いの滑稽さを批評した少々の毒も含ませて面白かった。

 志らく登場。「長短」は、気の長い人と気短な人とが仲のよい友だちで、話のテンポが正反対のこの二人の会話のスレ違いが妙味の噺。瞬時にして変わるキャラを演じる藝が要求される。さすがは志らく、みごと。

 http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2005/10/post_c027.html(『落語あらすじ事典「長短」』)

 続いて「笠碁」。仲のよい大店の旦那二人がいつも通りに碁を打って、待ったを認めるかどうかで大喧嘩、プライドある両人がどう仲直りをしてまた碁を打てるかをめぐる噺。

 http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2005/02/post_21.html(『落語あらすじ事典「笠碁」』)

 志らく師匠によればこの落語は「大人の落語だ。大人の男の持つ無邪気さが噺のテーマ。だから、この面白さは大人にしか分からないし、演ずる方も大人の芸人でないと演じきれない」とのことである。ただ幼稚なのではない、人生の荒波に揉まれてきていながらもあるところで無邪気なところがあるということなのである。男の面子に拘っていながらも相手の対応が気になる、というあたりを巧みに演じてくれないと困る。雨のなかかぶり笠をかぶって相手の男の店の前を行ったり来たりしてついに招き入れられ、さっそく碁を打つことになる。碁盤の上に雨水がポタポタ、笠から水が落ちているのだ。

……そこで志らくがこしらえた落ちを紹介させていただく。かぶり笠を被っていた男が慌てて「笠をとるまでちょっと待ってください」、すると相手がニヤッと笑って「いいや、待てません」、どうです、なかなか良い落ちでしょ。……(『全身落語家読本』新潮選書p.177)

 仲入り後「柳田格之進」。元は藩の留守居役だった浪人柳田格之進が、碁の相手であった両替商万屋源兵衛の50両を盗んだとの濡衣で、娘を吉原に売ってその金を渡すこととなる。後日留守居役に戻った柳田格之進は、湯島で万屋番頭徳兵衛と再会する。お金50両は大晦日の煤払いのとき額の後ろから出てきていたのだ。堪忍袋の緒が切れた格之進は、万屋の主人と番頭の首を約束により真っ二つにしようとするが、切ったのは碁盤であった。「堪忍袋の緒は切れても、友だちは切れなかった」との落ち。なるほど3演目を通してのテーマは、男の友情であったのか、納得。「柳田格之進」について、「現在の志らくがこれを演じたらどうなるだろうか。上手さだけでは退屈極まりない落語。不条理なギャグとセンスが入って初めて成立する落語だ。志らく落語の十八番になるような気がして今から楽しみで仕方ない」(「独演会プログラム」)と述べている。聴き応えがあった。古今亭志ん朝が「番頭が吉原に売られていった柳田の娘と結婚をするというハッピーエンド的なしめくくりにつくりかえた」のは、志らく師匠によれば、「実にご都合主義で嫌らしい噺になってしまっている」、「番頭も非は自分にあるので主人は助けてと懇願する」この台詞だけで「人々は番頭を完全に許す」ということ。支持したい。

 終演後、定番の中華料理の店で検討会&呑み会。12名のほかに、ゲストとして「東京かわら版」発行人の井上和明氏が参加。じつに盛り上がった会となった。「東京かわら版」増刊号の『寄席演芸家名鑑』を購入した。会の終了間際一気のみした紹興酒が効いて、深夜の津田沼駅を降りた最初の交叉点でよろめいてしまった。すぐに態勢を整え早足で帰宅した。

 http://ginjo.fc2web.com/31yanagidakaku/yanagida.htm(『落語「柳田格之進」の舞台を歩く』)

 なお浪人柳田格之進が暮らした浅草阿倍川町は、わが少年時代を過ごした浅草菊屋橋である。この落語に親しみを感じる由縁である。

(『「立川志らく独演会」を聴く』2014年3/17記 )