昨年は「山本弘展」(アートギャラリー道玄坂)鑑賞

 昨年は6月に、東京渋谷で「山本弘展」(アートギャラリー道玄坂)を鑑賞している。画家山本弘が自ら命を絶ったのが、1981(昭和56)年7月15日、つまり昨日が命日であった。この画家と親交があり、すぐれた理解者であるらしい美術ジャーナリストの曽根原正好氏の2004年3月記載とある「帰燕せつなき高さ飛ぶ—山本弘、わが愛する画家の思い出—」と題されたエッセイは、山本弘の創作を突き動かす闇のようなものを炙り出している。

 山本さんの友人で俳人の久保田創二に次のような句がある。これは山本弘のことを詠んでいるのかもしれないと、その息子さんが教えてくれた。たしかに山本さんを詠んだものにちがいない。

  死なば十代帰燕せつなき高さ飛ぶ  

 帰燕は南に帰る燕、秋の季語。十代でついに死ぬことができず生き延びたその後の山本弘を「せつなき高さ飛ぶ」と詠んだこの句は秀逸だ。
 なぜ自殺未遂を繰り返したのか。15歳の昭和20年4月に海軍2種飛行予科訓練生(予科練)に入隊している。2ヵ月で逃げ帰ったというが、譴責を受けたという話を聞かないのは終戦のどさくさにまぎれてうやむやになったのか。この予科練への入隊と逃亡、その後の日本の敗戦が山本弘をニヒリストにしたのだろうか。予科練への志願から皇国少年を思い浮かべ、予科練での幻滅かまたは終戦山本弘の価値観を混乱させ虚無に駆り立てたのかもしれない。

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20170630/1498801675(『渋谷で「山本弘展」(アートギャラリー道玄坂)鑑賞:2017年6/30 』)