浅利慶太とアングラ演劇

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 批評同人誌『G-W-G』3号の巻末座談会『浅利慶太と「天皇╱制」』は、ジャン・ジロドゥはじめフランス劇文学研究(宮城学院女子大学准教授)の間瀬幸江氏が参加していて、ジャン・ジロドゥをめぐって、寺山修司浅利慶太の人生と仕事を捉えることが可能でありたいせつであると教えられた。むろん特集に即した企画であるから、左翼政治思想とJ.P.サルトルロマン主義演劇から出発している浅利慶太にとっての「空虚」と「イロニーの有無」などが関連して、「天皇╱制」と資本の論理にどう絡めとられていったのかについての考察が議論の柱とはなっている。

〈美声〉による朗々とした「四季節」と呼ばれた台詞回しの演劇は、「空虚」ではあっても、フォルムを伝承することによって演劇史上の遺産をたしかに残し得ているとの対談の展開を引き取って、アングラ演劇はどうかと、間瀬氏は疑問を提示している。なるほど。浅利慶太ジャン・ジロドゥの演劇をいわば〈凍結〉させたことによって、今後それを〈解凍〉すれば、新たに舞台化を展開できるのではないかと。

間瀬:いま聞いていて、アングラの人たちと浅利の通った過程の違いについても考えました。今の時代をふり返ってみると、鈴木忠志唐十郎という名前は、一般には知られていないけれど、浅利慶太の名前は演劇を見ない人々さえ知っている。20世紀後半にはあったような気がする「よい作品」の物差しを、もう今の観客は持っていないじゃないですか。だから、作品についてどちらがより良いかとはなかなか言えないわけだけど、でも、日本で強い影響力を持ち、人々の記憶に残り人々の思考回路の一部と関わってしまっている作品のつくり方をした流れはどちらなんだろうと思うと、それはやはり浅利なのかもしれないということはちょっと思います。鈴木忠志唐十郎佐藤信といったラインはアカデミズムの人たちが全面的に肯定していますが、浅利慶太に関しては総スカン。いやむしろ、総スカンすらしない、話さないことになっていますよね。だけどこのアングラの人たちの流れはこれからどうなっていくのかな、と思うんです。……( p.196 ) 

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