驚駭噴泉(ウォーター・サープライズ)とは

東京新聞』2/3(水)夕刊の「大波小波」欄に、「〈私〉の抒情でいいのか」と題して、現代短歌について述べられてあった。読売文学賞に選ばれた小池光の最新歌集『思川の岸辺』(角川書店)が紹介されている。思川は、わが両親の故郷の川で、そこで獲られた鯉のあらいなど食べた記憶もあり、注目して読んだ。川のことはむろん出ていないが、現代短歌における抒情について、知的刺激を受けた。たとえば、同歌集から4首紹介されている中の2首。
姉いもうと仲良きことをよろこびて父親われに涙はわきぬ
ああ和子悪かったなあとこゑに出て部屋の真ん中にわれ立ち尽くす
……ためらいのなさに覚悟が見て取れる。どうしようもなく打たれながらも、これでは塚本邦雄はいなかったことになってしまうのかと呟かずにはいられない。短歌を〈私〉の湿潤な風土から解放した塚本の仕事は、前衛短歌の遺産は、どこへ行ってしまうのか。……

 慌てて、『現代短歌大系7』(三一書房)所収の塚本邦雄短歌集をパラパラ捲ってみた。巻末解説に代わる「塚本邦雄論」で田村隆一は、次の2首を、「受難のかなしみを湛えておりパセティクな魅力がある」が、それよりも「完璧なまでの形式美が強調され」、「観念のすぐれた形象化という、邦雄の歌の一面の特色が、如上の抜粋に明確にあらわれている」「絶対秀歌」として推している。 
五月來る硝子のかなた森閑と嬰児みなころされたるみどり
埃及記とや 群青の海さして乳母車うしろむきに走る
 
 本日にふさわしい塚本邦雄の1首は、次の短歌。
立春の夜のわがうちの驚駭噴泉(ウォーター・サープライズ)
ちかづく青年

 この「驚駭噴泉」とは、仕掛け噴水のこと。小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』に「驚駭噴泉(ウォーター・サープライズ)」の用例があるとのこと。ザルツブルクのヘルブルン宮殿の仕掛け噴水は有名らしい。