アンジェイ・ワイダ監督追悼

地下水道』『灰とダイヤモンド』はむろん観ているが、どこで観ているのか記憶が曖昧である。昔職場の同僚が事務局長だった縁で参加していた、日本ポーランド協会(1975年設立。現在は関西センターのみ活動)がポーランド大使館と共催したショパン演奏会&友好パーティーで、ある若く美しいポーランド大使館員の女性が、「じつはワイダの作品の暗さには飽き飽きしています。もっと明るい映画が観たい」と、流暢な日本語で語っていたのを思い出す。その視線に戸惑いつつ「あ、そうなんですか。たしかに」と応えていたかと思う。 
 いずれも岩波ホールで観たのが、『婚礼』、『ダントン』、『悪霊』の3作品。『ダントン』は、ダントンとロベスピエールの性格の違いが鮮明に描かれていて、感動的な映画であった。



 アンジェイ・ワイダの仕事で個人的に最も魅力的であったのは、その演出の舞台であった。ドストエフスキー原作『白痴』を元にした、『ナスターシャ』(1989年)である。江東区のベニサン・ピットが会場で、ラゴージン『辻萬長)の住居が舞台という設定。その空間は、美術担当のクリスチーナ・ザフワトヴィッチによれば、「演劇の装置ではなく、昔のロシア人の家の大きなサロンを再建すること」にあったとのことである。坂東玉三郎が、ナスターシャとムイシュキン公爵の二役であるところが、この芝居の肝といえた。ポーランドクラクフで上演されたときは、二人の男優、ムイシュキン公爵役とラゴージン役が登場し、ナスターシャはすでに殺害され亡骸となっており、二人の回想の中で語られるのみであったという(マチェイ・カルビンスキ「狂気、愛、死ーアンジェイ・ワイダによる『白痴』の演出をめぐって」『ポロニカ』恒文社NO.3 )。役者の上演ごとの即興性に委ねた演出のクラクフの舞台に対して、東京での上演は、完結した作品となっている。
 ワイダは、日本滞在中に知り合った女形坂東玉三郎を、ナスターシャ役として起用するアイディアを思いついたのである。

……しかしながら、ーー厳密に言えばーー坂東玉三郎はナスターシャ・フィリッポブナを演じたのではなく、ときおり彼女に姿を変えたにすぎず、基本的にはムイシュキン公爵の役割を演じている。まさにこの点に実験の神髄がある。この同じ俳優が同じ芝居の中で男女の二役を演じるのだ。舞台上にはムイシュイン公爵として登場し、芝居の筋のキャンバスとなる通夜をラゴージンとともに始めたのだ。けれども、二人の男が死者の記憶を呼び覚まし、情念が狂気の域まで高まるときにはーー日本の役者の変貌の技によってーームイシュキン公爵は一瞬のうちに、観客の目の前でナスターシャに変貌するのだった。(前掲論文・坂倉千鶴訳)



           (写真:篠山紀信